「何でも相談できるほうがいい」という人もいれば、「お互い干渉しないほうが気楽」という人もいますし。
だからこそ、他所様の家庭に首を突っ込むのは行儀が良いとはいえません。
本日はそんな視点で、とある超有名人の家族の一人についてみていきましょう。
1762年(日本では江戸時代・宝暦十二年)1月5日は、後にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻となるコンスタンツェ・ウェーバーが誕生した日です。
「世界三大悪妻」の一人と呼ばれるように、決して世間的なイメージの良い人物ではありませんが……果たして本当にそうだったのでしょうか?
2人の縁は政略結婚みたいなものだった!?
当初、モーツァルトはコンスタンツェの姉・アロイジアに恋をしていたといわれています。
ウェーバー家はみんな揃って音楽家で、アロイジアは美人かつ歌もうまいという才色兼備な女性でした。
しかし、その頃のモーツァルトは収入も少なく、音楽の才能も決して評価されてはいませんでした。そのためアロイジアはモーツァルトになびかなかったそうです。
一時モーツァルトとウェーバー家とのお付き合いは途絶えたものの、後に再会しました。
その頃アロイジアは結婚していたのですが、モーツァルトはウェーバー家にコンタクトを取り続けます。
そこで、アロイジア・コンスタンツェ姉妹の母が「アロイジアは無事結婚できたけれど、美人でもないし、歌もそんなにうまくないコンスタンツェは……」と危惧し、モーツァルトに「コンスタンツェにもいいところはあるのよ、だから一緒になってやってくださらない?」と持ちかけ、二人は結婚することになりました。
つまり政略結婚のようなものだったのです。
とはいえ、母がモーツァルトに突きつけた「三年以内にコンスタンツェと結婚しない場合は、ウェーバー家に違約金を支払うこと」という誓約書は、コンスタンツェ本人が破り捨てたといいます。
もしかするとコンスタンツェのほうは、姉目当てに家へ出入りするようになったモーツァルトのことを、密かに想っていたのかもしれません。
出張のたびにラブラブな手紙を送っている
こうしてビミョー……かもしれない雰囲気で始まった新婚生活でしたが、モーツァルトは演奏旅行などで家を空けるたびに、コンスタンツェにこっ恥ずかしいほどの愛の言葉を連ねた手紙を書くようになっていきました。
もしも通説のように、コンスタンツェが正真正銘の悪妻だったとしたら、モーツァルトはよほど特殊な好みをしていたことになってしまいますよね。
少なくとも、当初は「叶いそうもない片思い相手の妹」というだけだったコンスタンツェが、モーツァルトに深く愛される理由はあったはずです。
しかも、モーツァルトは女日照りという立場ではありません。
アロイジアを始め、女性歌手との仕事やお付き合いもありましたし、パトロンの家を訪ねた際に娘を紹介されるということも珍しくなかったでしょう。
また、モーツァルトとコンスタンツェは6人も子供をもうけています。残念ながら成長したのは二人だけでしたが……。これは当時の新生児の死亡率からすれば、仕方のないことです。
結婚したのはモーツァルト26歳・コンスタンツェ20歳のとき。
そしてモーツァルトが亡くなったのが35歳のときですから、この二人が夫婦だったのは、たった9年間でした。
もしもコンスタンツェが最悪な妻だったとしたら、この短い夫婦生活でこんなに妊娠するはずがない気がします。モーツァルトは演奏旅行などで頻繁に家を空けていたわけですし。
その他「コンスタンツェは最悪な妻だった」とされる点と、その反証はたくさんありますが、全部書くのもくどいのでこの辺にしておきましょう。
夫がボロクソに言っていたのならまだわかるが
コンスタンツェ悪妻説は、おそらく「女は男の言うことを黙って聞くべき」という考えの人が語り始め、似通った人達によって支持されてきたのではないでしょうか。
むろん時代の流れから考えると仕方のない一面はありますが、モーツァルトはコンスタンツェに対して情熱的な手紙を何枚も書くほどですから、少なくとも愛する存在だったはずです。
ソクラテスの妻・クサンティッペのように、夫自身がボロクソに言っていたならともかく、外から・後世から見ただけで「悪妻である」と決めつけるのは不憫でなりません。
まぁ、クサンティッペの素顔もほぼ不明なので、今後評価が逆転するかもしれませんが。
よほど世間や他人に迷惑をかけたならともかく、いかに有名人であっても、夫婦間のことに他人がとやかく言うべきではないですよね。
コンスタンツェはモーツァルトの死後、デンマークの外交官るゲオルク・ニコラウス・ニッセンと再婚しました。
彼とともにモーツァルトの伝記を書いたり、亡くなる前年にモーツァルトの名を冠した教育・音楽団体「モーツァルテウム」の設立に協力したり、コンスタンツェは後々まで最初の夫を忘れていなかったようです。
そのほうが自分の生活も成り立つから……と考えた可能性もありますけれども、まあその辺は本人しかわかりません。
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長月 七紀・記
【参考】
コンスタンツェ・モーツァルト/wikipedia