今回の『歴史診察室』の患者さんは、今から233年前、1791年12月5日に亡くなったモーツァルト。
音楽に興味が無くとも、その名を知らぬ方はいないでしょう。
数々の名曲を世に残した彼ですが、まだ若い35才で命を落とした、その死因は未だ謎に包まれています。
果たして真相は?
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5歳で作曲とはまさに神童の極み
モーツァルトは1751年、ザルツブルクで宮廷作曲家の元に生まれます。
父は息子が天才であると見抜き早期から音楽教育を実施。
その結果、3歳でチェンバロを弾き、5歳で作曲、6歳でマリア・テレジアの前で演奏するという神童に育ちます。
このとき転んでしまったモーツアルトの手を取ってくれたマリー・アントワネットに向かって「お嫁さんにしてあげる」と言ったというエピソードはかなり有名ですね。
幼い頃の彼は父と共にヨーロッパ各地を演奏旅行で周り、最終的にはウィーンで亡くなります。
古典派音楽の巨匠ということですが、私はこの辺の事情については薄暗いのでソーッと病気の話にうつりましょう。
死の直前に舞い込んだ『鎮魂歌』の依頼……
晩年のモーツァルトは貧乏でした。
ウィーンではピアニストとして人気のあった彼ですが、言動が下品だったため良い仕事が来なかったご様子。
そんな彼の元に『レクイエム(鎮魂歌)』の依頼が舞い込みます。
依頼主の名前は秘密ながら、報酬は破格でした。
金に困っていたモーツァルトはこの仕事を受け、曲の作製途中に亡くなります。まるで死神からの依頼……。
出来過ぎた話に思えますがコレは本当のお話、タネ明かしは後にして、亡くなる前の彼の様子を見てみましょう。
1791年9月、オペラ『魔笛』の作曲を終えた頃からモーツァルトは体調を崩します。
11月に入り体調は更に悪化。
発熱と浮腫が顕著になり、発疹が出現します。
同月下旬よりベッドに臥せると、その後、約2週間で亡くなってしまいました。
享年35。
当時としてもまだかなり若いモーツァルトの命を奪ったものは何だったのでしょうか。
推定死因がありすぎて
モーツァルトに限らず、歴史上の人物は死因が特定できないことがままあります。
しかし、彼の場合、35歳という若さや、豊かな才能もあいまって、様々な憶測を呼びます。
ざっと挙げますと……。
・ライバルによる暗殺
・妻による殺人
・水銀中毒
・生やけの豚肉にいた寄生虫
・梅毒
・連鎖球菌感染
挙げるときりがありませんので、現実的な死因にスポットを当ててみましょう。
感染症を中心に疑わしき病気を解説しました。
粟粒熱(ぞくりゅうねつ)
ウィーン市の公式記録によるとモーツァルトの死因は『粟粒熱』となっています。
15-16世紀にかけて5回の大流行。
強い疲労感と発熱などの症状を呈すし、しばしば死に至るのです。
ハンターウイルスが原因といわれていますが1578年を最後に発生しておらず詳細は不明。
しかし、モーツァルトが呈した発疹は粟粒熱の症状として記載されていません。
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