シャルル・ルルー/wikipediaより引用

音楽家

日本に軍歌を指南した仏人シャルル・ルルーはツンデレ音楽家だった!?

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「可愛くば 五つ教えて 三つ褒め 二つ叱って 良き人とせよ」

二宮尊徳の作であるとかないとかいわれている歌で、まぁ意味は字の通りです。

ものを教えるのであれば、半分以上は褒めて、少しは叱るようにすればいい感じになるということですね。
現代でも応用の効く文言の一つだと思いますが、明治時代にこんな感じで日本人にものを教えてくれた人がいました。

1851年(日本では嘉永四年)9月13日に誕生した、シャルル・ルルーというフランス人です。

「ルル、ル、ル?」 「ルル、ルル、ルル…?」って、なんだか舌を噛みそうな名前ですね。

この人は若い頃、フランスの名門・パリ音楽院でピアノを専攻。
フランス陸軍に入隊してから軍楽兵になったのですが、当時フランス陸軍が明治政府にいろいろと指導をしていた縁で、日本にやってきました。

といっても、ルルーが教えたのは戦略ではありません。音楽のプロですから、もちろん音楽を教えに軍隊へやって来たのです。

 

発祥はオスマン帝国 アジア音楽の流れを汲んで

ナゼ、軍隊に音楽が必要なのか?

というと、戦場での士気向上のためです。

軍楽隊はオスマン帝国が発祥だといわれておりまして、西アジア・中央アジアの音楽の流れを汲んでいました。
前述の通り士気向上のため、あるいは威嚇のために音楽を利用したのです。

そして「オスマンの脅威」という言葉がある通り、オスマン帝国は度々ヨーロッパへの進出を試みていました。その際にも軍楽隊が同行しています。

それを伝え聞いたヨーロッパの音楽家たちもオスマン帝国軍楽隊を意識した曲を作るようになり、ヨーロッパの軍でも音楽が重要視されるようになったのです。

「トルコ行進曲」なんてまんまな曲名ですよね。

平時は国賓の接待や国家行事での演奏を受け持つことにより、国民に共通の意識を持つきっかけにもなりました。
スポーツの国際大会で国歌が流れると「おお!」って思うのと一緒ですね。

え? 思わない?
そっか(´・ω・`)

これは私見ですが、音楽を演奏することによって、奏者たちにも連帯感や連携しようという意識が生まれ、より強くなる効果を狙ったのが始まりだったかもしれませんね。

まぁそんなわけで、近代的な軍隊には音楽が不可欠とみなされるようになっていたのです。

 

「数字を読めない者に数学の授業をするようなものだった」

しかし、当時の日本はまだ西洋の文化が入ってきたばかり。

断髪や肉食でさえ、普通の人がやるようになってまだ十数年しか経っていないのです。
その段階で音楽のような高等技術を身につけろといわれても、そう簡単にはいきませんでした。

ルルーは1884年に来日し、五年ほどで日本を去っているのですけれども、帰国直前、生徒たちにこんな感じのことを言っています。

「初めは数字を読めない者に数学の授業をするようなものだったが、今日まで皆良く勉強した。これからも私が教えたことを忘れず、練習に励むように」

だいぶひどい。でも褒めてくれてる。

日本滞在中、ルルーは他にも音楽にまつわる様々なことをしていました。

一つは、鹿鳴館で「日本音楽会」という会を作ったことです。
まんま過ぎるとか言わない言わない。

帝国大学の教授や東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部の前身にあたる)の代表者、陸海軍の軍楽隊などの代表者を集めて、西洋の音楽を教えたというものでした。

メンツが結構すごいですよね。
今ってこういう組織の垣根を越えたお偉いさんの会ってあるんでしょうか。国会議員同士だとちょくちょくありますけども。

 

『陸軍分列行進曲』

ルルーは、陸軍のための曲もいくつか書いています。

戦時中は皆さんご存知の通り、外国のものや外国人は排斥されたのですけれども、その頃にはルルーの曲が既に陸軍を代表する曲になっていたので、作曲者を伏せて演奏され続けたといいます。
今では自衛隊の音楽隊が演奏することも多いようで。

ついでですので、ひとつ動画をご紹介しておきましょう。

『陸軍分列行進曲』です。

 

いかにも、という感じでしょうか?
歌詞は西南戦争時の警察(つまり官軍側)を褒めたものになっているとか。

旧字体が多いのと6番まである(!)のでここでは歌詞を紹介しませんが、ご興味のある向きは各自ググる先生にお尋ねください。

また、ルルーは西洋の音楽を教えるだけでなく、神楽や雅楽など日本の音楽の研究にも勤しんでいました。

琴や三味線の演奏を聴いたり、自分でも購入して習っていたとかいないとか。
日本の音楽を西洋の楽譜に書き表したのは、ルルーが初めてだといわれています。地味にすげえ。

 

日本人には向いてないと叩きつつ、日本音楽の論文を発表

そんなこんなのおかげで、日本の軍楽隊のレベルは飛躍的に上昇。
この功績でルルーは勲五等を受けた後にフランスへ帰国しました。

帰国前は上記の通り生徒を褒めてくれていたのですけれども、帰国後にフランス陸軍に提出した報告書では全く違うことを書いています。こっちも意訳です。

「日本人は音楽に向きませんね。才能もないし音感もないし、他の事と同じく西洋の模倣しかできません」

そりゃ、開国から半世紀も経ってないのに、いきなり西洋と同じレベルになれっていったって無理ですがな(´・ω・`)
そもそも音階から何からまるで違いますし。

その後、ルルーはフランス陸軍で再び軍楽に関する仕事をしていました。

が、退役後に日本音楽に関する論文「日本の古典音楽」を発表しています。日本が好きなのか嫌いなのかどっちなんだYO!
帰国から21年後のことなので、歳をとって丸くなったのかもしれませんね。そう思っておきましょう。

日本政府はこれに対し勲四等を贈ったのですが、上記の酷評ぶりを知っていたのかいないのか……。

ひょっとしてルルーは、時代を先取り過ぎたツンデレだったのかもしれません。

まぁ、同時代のフランス人でもドン引きされるくらい日本フリークだった人もいますので、人それぞれということでしょうか。
その人の話はこちらでどうぞ。

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長月 七紀・記

【参考】
シャルル・ルルー/Wikipediaより引用

 



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