ガトリング砲(1865年)/wikipediaより引用

幕末・維新

幕末戦乱期に輸入されたガトリング砲の威力はバツグン!とはいかず……

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歴史の授業では人や事件にスポットが当たりがちですが、モノの変遷や背景を探るのも面白いものです。

一見単純なモノでも、それが生まれるまでの経緯などからさまざまなことがわかりますからね。

1818年(日本では江戸時代・文政元年)9月12日は、アメリカ人発明家のリチャード・ジョーダン・ガトリングが誕生した日です。

名前でピンときた方も多そうですね。
恐ろしい兵器の代表例「ガトリングガン」の発明者です。

こんな物を生み出した人はさぞかし恐ろしい性格をしている……と思いきや、実はそうでもなかったりします。

 

戦場の死者は、戦死より病死が多い

リチャードは21歳の頃から発明に携わっておりました。

が、自身が取り組んだものは先に特許を取られていたりして、発明家だけでは生計をたてられず、しばらくは職を転々。
種まき機を発明した後は充分な利益が得られるようになり、いよいよ発明が本職となります。27歳の時です。

29歳で天然痘にかかって危うく死にかけると、運よく生還した後は薬学に興味を持って大学に入り、医学博士を取得します。

やはりもともと頭が良かったんでしょうね。
しかし、資格を取る頃には興味がなくなってしまったのか、医師になることはありませんでした。

リチャード・ジョーダン・ガトリング/wikipediaより引用

一方で、人の命について学んだことは、リチャードに別の視点を生み出しました。

キッカケは南北戦争です。

リチャードが40代前半の頃に起きたのですが、そこでリチャードは「戦場の死者は、戦死より病死が多い」ということに気付きます。
基本的に不衛生な場所ですから、伝染病にかかるなどのケースが珍しくなかったのです。

リチャードとほぼ同時期に、この点に注目したフローレンス・ナイチンゲールがクリミア戦争で野戦病院の整備をしたり、アンリ・デュナンがイタリア統一戦争の惨状に眉をひそめ、赤十字社を発足させたりしていますね。

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種まき機の構造を応用してガトリングガンを発明した

誰が見ても人道的な活動をしたナイチンゲールとデュナンに対し、リチャードは一味も二味も違いました。

なんと種まき機の構造を応用してガトリングガンを作ったのです。
当時は手回し式で、長い銃身をいくつも束ねたものに大砲の台をつけたような形でした。

「戦死者を減らすために武器を作る」というのは矛盾しているように感じますが、彼いわく「1人で100人分の戦力になるような武器があれば、全体の兵数が減って死者も減るだろう」という考えだったとか。

そして試作の後、リチャードは1862年にガトリングガン・カンパニーという会社を作り、この兵器の事業化を試みます。

なんて言いますと、いかにも戦争でトントン拍子に企業がデカくなった――と想像してしまいがちですが、最初に作った6台のガトリングガンは開業年の末に起きた火事で焼けてしまいました。
幸先が悪い。

リチャードは諦めず、他の会社に依頼して13台のガトリングガンを増産。
1870年に、その特許をコルト社(リボルバーを発明したサミュエル・コルトの会社)に売るまで、彼は同カンパニーの経営を続けたのでした。

1867年のガトリング砲/wikipediaより引用

1867年のガトリング砲/wikipediaより引用

本職は武器開発ではなく、発明家のリチャードですから、他にも特許を取った製品はあります。

トイレや自転車、羊毛の蒸気洗浄機、空気圧駆動など。
発明家としては十分なれど、事業家としてはイマイチ……裕福ではあっても、いわゆる大金持ちではなかったようです。

 

河井継之助がイギリスの武器商人から購入

さて、そんなこんなで19世紀半ばに生まれたガトリングガン。
実は発明からさほど経っていない時期に、日本で使われたことがあります。

1867年に始まった戊辰戦争です。

より正しくいえば北越戦争となります。

長岡藩の家老・河井継之助がイギリスの武器商人から購入し、新政府軍を迎え討つのに使いました。

他にアームストロング砲(大砲)やエンフィールド銃・スナイドル銃(両方とも歩兵用の小銃)も買っており……残念ながら勝敗には寄与できませんでしたが、河井の慧眼というか手腕には驚くばかりですよね。

河井継之助/wikipediaより引用

ただ残念ながら、ガトリングガン自体は思うような威力を発揮できませんでした。

本来が「まとまって突撃してくる敵を一掃する」目的で作られていて、すぐに兵が散開してしまう野戦では効果を発揮しにくかったのです。

もしも「籠城戦あるいは高所から攻め手を迎え討つ」といった状況であれば、もっと活躍していたかもしれません。
この時代になると大砲もかなり発達していますので、あとは双方の装備状況によりますが、まあそれはどの戦争でも同じでしょう。

 

「数撃ちゃ当たる」の飛行機に重宝されて

こうした特性のため、欧米でもガトリングガンは一時期使われなくなりました。

日本では西南戦争で使われた形跡があるものの、あとは日清戦争日露戦争で「敵からぶんどりました」という記録のみ。
1920年の尼港事件では、日本人居留地殲滅のために使われたそうですが……この事件は本気で気分が悪くなるので、ここでは扱いません。

ガトリングガンが再び注目されるのは、戦争で飛行機が使われるようになってからです。

戦闘機(空中で飛行機同士の戦闘をするタイプ)の場合、空中での撃ち合いになるため、「数撃ちゃ当たる」ことが重視されました。
この目的に対し、ガトリングガンの構造が最適だったのです。

飛行機に搭載するために構造が変更され、第二次世界大戦末期のドイツで「リヴォルヴァーカノン」というものができています。
銃というより砲ですが、元ネタはガトリングガンですから、こまけえこたあいいんだよということで。

ガトリング砲の発展型であるM61バルカン/photo by Rhodekyll wikipediaより引用

そして第二次世界大戦後、アメリカでガトリングガンをより進化させた「バルカン砲」と呼ばれるタイプができました。

輪切りにした蓮根の穴から弾が出るような感じのアレです。
現在「ガトリングガン」というと、こちらを思い浮かべる人のほうが多いでしょうね。

陸軍博物館の倉庫にあった初代のガトリングガンに、電動モーターをつけて試作したんだとか。
古いものを文化財扱いしないあたり、さすがアメリカというかなんというか。

現在では、バルカン砲の類型が方々で配備されています。
威力のほうは……形状からしても拳銃の比じゃないというか、想像するだけでも恐ろしいものです。

対人で使われることがないよう祈るばかりです。

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長月 七紀・記

【参考】
リチャード・ジョーダン・ガトリング/wikipedia
ガトリング砲/wikipedia
河井継之助/wikipedia

 



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