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倍返し達成まで40年!武士の仇討ちも楽ではありません

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リベンジ!倍返し!果たして小保方さんはリベンジできるのでしょうか。
さてさてこちらは江戸時代のお話です。
親や主君を殺された仇を討つ―――「忠臣蔵」をはじめとして、仇討ちは時代劇では定番のテーマですね。

仮名手本忠臣蔵(Wikipediaより)

しかしながら、捜査や通信の技術が発達していない時代のこと、仇を見つけ出して討ち果たすのは容易なことではありませんでした。遠くに逃げた仇を見つけられなかったり、見つけても返り討ちにあったり、探し出すのに時間がかかりすぎていて、当の仇が既に死んでしまっていたり……一説によれば仇討ちの成功率は1%ほどだといいます。「武士の掟」は実に過酷なものでした。

さて、現在に伝わる数ある仇討ちの記録で、最も壮絶な話の一つが、江戸時代後期に実在した久米幸太郎という武士の仇討ちでしょう。仇討ちに要した時間は、なんと41年にも及びます!

事の発端は文化14年(1817)12月20日のこと。越前国(現在の新潟県)新発田藩で、滝沢休右衛門という男が同僚久米弥五兵衛を殺害しました。囲碁の対局中口論になったとも、藩金の横領が発覚するのを恐れ口封じに殺したとも言われています。当時、弥五兵衛の長男幸太郎は7歳、弟盛次郎は5歳でした。大黒柱を失った久米一家は、藩からの援助でなんとか糊口をしのぎます。

そして文政11年(1828)、18歳になった幸太郎は幕府に仇討ちを願い出、免状をもらいます。幸太郎は藩からも資金を受け、弟の盛次郎、叔父(弥五兵衛の弟)の板倉留六郎の3人で仇討ちの旅に出ました。留六郎は進んでいた縁談を苦悩の末断ってまで、助太刀として参加したのです。途中、三手に分かれたり、重病を患ったり、お金が尽きて僧侶に化けて托鉢をしたりと、相当な困難を極めたといいます。

そんな中幸太郎は、仙台藩領・洞福寺(現在の石巻市にあります)という寺の黙照なる僧侶がどうも滝沢休右衛門らしい、という情報を得ます。彼はこっそりと黙照を見てみますが、滝沢の面体を知らないので確証が持てません。そこで一度新発田藩に戻り、滝沢の知人に同行を願い、再び洞福寺へ。そしてようやく、黙照が休右衛門である事を確認したのです。この執念、おそるべし。

滝沢休右衛門は逃走中、僧侶になって黙照と名乗り、寺院を転々として、最後は洞福寺に身を寄せたが、他国者を異常なほど警戒し、刀の仕込み杖を使用したり、懐刀を常に忍ばせていたという伝承が残っています。

寺社での仇討ちはご法度のため、幸太郎は黙照が外出した帰路の祝田浜(いわいだはま)の五十鈴神社の麓で襲撃することにします。(以下、仇討ちのくだりは物語風に語ります。あしからず)

運命の日、安政4年(1857年)10月9日。五十鈴神社の前を、黙照は通ります。幸太郎は物陰から黙照にたいし「滝沢休右衛門」の名を呼びかけました。「わしのことか」と答える黙照。
「拙者は久米弥五兵衛の遺児、久米幸太郎なるぞ!」現れた幸太郎に黙照は狼狽しますが、旧知の藩士も姿を見せ、言い逃れはできないと観念します。
 82歳の老人となっていた仇の姿に、幸太郎は一瞬ためらいを覚えますが、すぐに意を決しました。彼は父の仇に一太刀を浴びせ、さらにとどめを刺しました。

幸太郎が本懐を遂げたとき、仇討ちの旅に出てから30年、弥五兵衛の殺害からは41年の月日が流れていました。

7歳で父を殺され、18歳で仇討ちの旅に出、30年後に80歳を超えた老人を殺して思いを遂げる。もう壮絶としか言いようがありません。

仇討ちを終えた彼の後半生も、幸せとは言い難いものでした。青年期から壮年期までずっと仇討ちの旅をしていたので、実務とか経営のセンスが身につくはずもありません。帰郷後についた奉行の職も、明治維新後に始めた事業も、うまくいかなかったようです。

明治6年(1873)、明治政府の法令により、仇討ちは禁止されます。自分が人生をかけた行為が犯罪とされる社会になってしまったことを、幸太郎はどんな思いで見ていたのでしょうか。明治24年(1891)、幸太郎はその数奇な生涯を終えました。数え年で82歳。皮肉にも、仇敵滝沢休右衛門と同じ享年でした。

石巻市には、今も久米幸太郎仇討ちの地に石碑が残っています。

 

三城俊一・記

写真は石巻観光協会のHP

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