『信長公記』首巻5節は、織田信長でも織田信秀でもない、全く違うモノのことが書かれています。
その名は「あざ丸(癬丸)」。
当時でもかなり古い言い伝えで知られていた、何かといわくつきの日本刀です。
平家の武士・藤原景清の佩刀だった
あざ丸は、元は平家の武士・藤原景清の佩刀(はいとう・身につけていた刀)だったといわれています。
景清自体にも謎が多いのですが、あざ丸はさらに謎めいた存在です。
源平時代=平安末期ですから、日本刀の定番が今日知られているような”反り”のある形になって、そう経っていない時代。
「どの刀工の作品かわからない」ということ自体、日本刀ではさして珍しくないものの、それを上回る曰く付きなのです。
【景清がこの刀を見たとき、写った自分の顔にあざができていた】
というのが名前の由来というのです。
その後、景清は眼病を患ったともいわれています。
病気が治ったのかどうかも定かではないのですが(失明した説もあります)、この刀に何をしたわけでもないのに景清がいきなり祟られるとは実に物騒な話ですね。
こういうときって大半が
「この刀で神の化身に無礼を働いた」
というような理屈がついてまわるケースが多いんですが、あざ丸にはそういうものが全くありません。
景清はあざ丸を熱田神宮に奉納
その次にあざ丸が歴史上に出てくるのが、織田信秀の時代です。
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景清には「壇ノ浦の戦いで敗れた後、落人となって熱田神宮付近に住んでいた」という説がありまして、その話では「あざ丸を熱田神宮に奉納していた」と続きます。
信秀の時代、熱田神宮家が織田氏に属したため、その一員である千秋季光(せんしゅう すえみつ)も戦に出ることになりました。
彼は前回触れた天文十六年(1547年)「加納口の戦い」にあざ丸を携えて参戦、討死してしまったのだといいます。
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現代人からすると、
「なんで、そんな不吉な刀を使おうと思ったのか」
「そもそもどうして持ち出そうと思ったのか」
あたりをツッコミたくてたまらなくなってきますよね。
神宮家の人ならば、いわくのある文物の知識や、それに対する理解もあって良さそうなものですが。
そもそも熱田神宮は、古来より武士の尊崇を集めている神社なので、奉納されている刀も非常に多く存在します。
つまり「名刀と呼ばれるような出来の良い刀=戦で役に立つ刀」なら、他にもたくさんあったはずなのです。
にもかかわらず、わざわざあざ丸を選んだ時点で末路は決まったようなもの……というか、誰か止めなかったんですかね……。
お次は斎藤氏の武士・影山一景、そして長秀へ
当時、あざ丸のいわくがどの程度知られていたかどうかはわかりません。
戦国時代のことですから、知っていたとしても鼻で笑う人も多かったでしょう。
季光が討死した後に残っていたあざ丸を拾っていったのは、斎藤氏の武士である影山一景という人でした。
しかし彼もまた、織田軍vs斎藤軍が大垣城(岐阜県大垣市)を巡って争った戦で、命を落とします。やはりあざ丸を携えて――。
死に様が凄まじく、左右の目を次々に射られた末……というのですから、目に関する不吉な話がさらに増しました。
その後、誰の手をどのように渡ったのかについてははっきりしていません。
時が流れ、あざ丸は信長の幼馴染・丹羽長秀のものになりました。
「米五郎左」とも「鬼五郎左」とも呼ばれる、信長や織田氏にとって欠かせない重臣ですね。
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しかし彼もまた、あざ丸を手元に置いてからというもの、目を病んでしまいます。
いきなり殺さないあたり、かなり親切になってるというか、「武士の情け」ならぬ「武士”への”情け」とでもいいましょうか。
景清や季光、一景のこともあってか、周囲の人々も
「その刀、熱田神宮に奉納したほうがいいんじゃ?」
と口々に言いました。
ここで長秀が意地を張っていたら、彼もまたいわくの一員になってしまっていたのかもしれません。
彼があざ丸を熱田神宮に奉納すると、すぐに眼病は治り、その後は何の不都合もなかったとか。
検索数からの画像も少なく
以来、あざ丸は熱田神宮に納められ、今日に至っています。
そもそも熱田神宮自体が三種の神器のひとつ・草薙剣(天叢雲剣)を主祭神にしていますし、あざ丸には妖気というより神気があったのかもしれませんね。
あざ丸はたまに展示会にも出されているので、機会があれば見てみるのもいいかもしれません。
近年では、2017年に徳川美術館(名古屋市東区)で公開されていたことがあります。
熱田神宮の宝物殿は比較的短いスパンで展示品の入れ替えをしていますし、お膝元で見る機会もありそうです。
余談ですが……。
上記の不吉な話のせいか、有名な日本刀の中でもあざ丸の写真はとても少ないようです。
この記事を書いている時点でグーグル先生にお尋ねしてみたところ、ほんの2・3枚しか見つかりませんでした。
目に関する祟りが知られているだけに、視覚的な記録を残したくない……と無意識に思ってしまうんでしょうかね。
くわばらくわばら。
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参考文献
- 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』(全15巻17冊, 吉川弘文館, 1979年3月1日〜1997年4月1日, ISBN-13: 978-4642091244)
書誌・デジタル版案内: JapanKnowledge Lib(吉川弘文館『国史大辞典』コンテンツ案内) - 太田牛一(著)・中川太古(訳)『現代語訳 信長公記(新人物文庫 お-11-1)』(KADOKAWA, 2013年10月9日, ISBN-13: 978-4046000019)
出版社: KADOKAWA公式サイト(書誌情報) |
Amazon: 文庫版商品ページ - 日本史史料研究会編『信長研究の最前線――ここまでわかった「革新者」の実像(歴史新書y 049)』(洋泉社, 2014年10月, ISBN-13: 978-4800305084)
書誌: 版元ドットコム(洋泉社・書誌情報) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『織田信長合戦全録――桶狭間から本能寺まで(中公新書 1625)』(中央公論新社, 2002年1月25日, ISBN-13: 978-4121016256)
出版社: 中央公論新社公式サイト(中公新書・書誌情報) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『信長と消えた家臣たち――失脚・粛清・謀反(中公新書 1907)』(中央公論新社, 2007年7月25日, ISBN-13: 978-4121019073)
出版社: 中央公論新社・中公eブックス(作品紹介) |
Amazon: 新書版商品ページ - 谷口克広『織田信長家臣人名辞典(第2版)』(吉川弘文館, 2010年11月, ISBN-13: 978-4642014571)
書誌: 吉川弘文館(商品公式ページ) |
Amazon: 商品ページ - 峰岸純夫・片桐昭彦(編)『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館, 2005年3月1日, ISBN-13: 978-4642013437)
書誌: 吉川弘文館(商品公式ページ) |
Amazon: 商品ページ







