明治・大正・昭和

大和や武蔵、赤城、金剛… 旧海軍・軍艦の種類や名前の仕組み ご存知ですか?

大きな乗り物や機械ってロマンがありますよね。
日本では工業系大学の学生の多くが「ガン○ムを作りたくて」という理由で入学するという都市伝説があるくらいですし。
まあそれはそれとして、今から100年ちょっと前にも、情熱を持って大きな乗り物を作った人たちがいました。

明治二十七年(1894年)3月31日は、旧海軍の防護巡洋艦・秋津洲(あきつしま)が進水した日です。

早速何が何やらよくわからん単語が並んでいますが、順を追って「軍艦の名前」についてご説明して参りましょう。
たぶん提督の皆様には「ンなこと知ってるよ」な話だと思うのですが、当コーナーに提督さんがどのくらいいらっしゃるかわかりませんのでその辺はスルーでお願いします。
まあ入門中の入門、いろはの「い」といった感じで進めさせていただきます。

秋津洲/Wikipediaより引用

秋津洲/Wikipediaより引用

 


そろそろワシらも自分らで船作ろず! 

明治時代、日本の軍隊は二つの国を手本としていました。陸軍はドイツ、海軍はイギリスから制度や訓練、武器の製造技術などを学んでいます。
そして海軍といえば船は欠かせません。しかし、日本は長いこと鎖国をしていて新しい造船技術の情報がほとんどなかったので、当初はイギリスの会社に船を作ってもらったり、イギリス人に設計してもらって船を作ったりしていました。

そして何十年か経ち、世界情勢の移り変わりと共に日本にもノウハウが蓄積されていきます。
「そろそろウチも1から船を作れるだろう」ということで、設計の段階から国内でやろう!と決まり、作られたのが秋津洲などの純国産の船だった……というわけです。

その後、軍縮条約をかいくぐってギリギリの重武装をした船が作られるなど、変態(褒め言葉)技術が磨かれる一方で「謎の爆発により、戦う前に沈没」した船もあったりするのですが……。だから爆発するのは芸術だけでいいと何回言ったら。

竣工時の秋津洲/Wikipediaより引用

竣工時の秋津洲/Wikipediaより引用

 


軍艦の種類 基本編

「防護巡洋艦」というのは船の分類の一つで、エンジンなど主要機関の上だけ装甲を厚めにした巡洋艦という意味です。
ただの「巡洋艦」だと船の側面(舷)にも装甲があります。名前のイメージとは逆に、「防護巡洋艦」のほうが防御力は低いんですね。

さて「巡洋艦って何じゃらホイ(古い)」と思われた方もいらっしゃると思いますので、ここらで旧軍の船の種類についてさらっとまとめておきましょう

・戦艦
皆大好き「大和」や「武蔵」などです。ものすごくテキトーにいうと「一番デカくて強い船」と思っていいでしょう。大口径の主砲・副砲、分厚い装甲を持ちます。
が、そのためスピードはあまり出ず、より小回りの利く船に護衛してもらう必要があります。
一時は「デカイ戦艦を持ってるところが強い!」という風潮でしたが、次に述べる「空母」や飛行機の戦力化で主役の地位を譲りました。

・空母(航空母艦)
甲板から戦闘機を飛ばすことができる船です。
空母本体はもちろん、戦闘機の製造・運用のための資材や燃料が大量に要るので、そういった事前準備がないと使いこなすのが難しい船でもあります。
現代では戦艦を運用している国がないので、海軍の主力といえば空母という立ち位置になっています。

・巡洋艦
速度と攻撃力のバランスを取った、比較的小型の船です。
旧軍の場合、主砲のサイズで「軽巡洋艦」と「重巡洋艦」に分かれていました。
その他にもいろいろバリエーションがあります。

・駆逐艦
攻撃や防御よりもスピードに重きを置いた、一番小回りの利く船です。
戦艦や輸送船など、自分ではあまり早く動けない船の護衛によく使われました。
船が小さい=大きな武器は積めないため、魚雷を主力としています。
今も世界中で現役の艦種でもあり、20世紀のものより大型化しています。

・特務艦
戦闘以外の任務を主目的とした船をまとめてこう呼びます。
石油を運ぶ「給油艦」や、食料の運送・貯蔵・加工ができる「給糧艦」、訓練や新型兵器の実験に使われた「標的艦」など、さまざまな船があります。

他にもたくさんありますが、細かい分類まで書こうとするとキリがないのでこのへんで。
戦国時代に例えるとすれば、戦艦=大砲、空母=騎兵、巡洋艦=歩兵、駆逐艦=銃兵・弓兵という感じでしょうか。大分無理やりですが。

 


戦艦は旧国名や山岳の名前から付けられている 

さて、お次は「秋津洲」という名前の由来についてのお話です。
この言葉自体は日本の異名の一つで、「秋津」はとんぼのこと。他の異名でお米を差す言葉が多いことから考えると、「(水田に飛び交う)とんぼの多い島」みたいなイメージでしょうか。

旧軍の舟に使われた日本の異称としては、他にも「敷島」や「大和」などがあります。まさに「国の名を背負った」船として期待されていたのでしょうね。

例外もいくつかありますが、だいたいこんな感じの法則で決められていました。

戦艦=旧国名、山岳の名前
空母=山岳もしくは法則のない特殊な命名
重巡洋艦=山岳
軽巡洋艦=河川
駆逐艦=天候・海洋・季節・植物
特務艦=海峡・港湾・半島など海に関わる地名

やたらと古めかしいというかどこかで聞いた覚えのある綺麗な言葉が多いのは、旧国名や名所の名前が使われているからなんですね。
これは明治天皇の意向で「人名は避けるように」というお達しがあったからだといわれています。そりゃ、人の名前がついたものが沈んだら良い気分にはならないですからね。外国だとあまりそういうのは気にしないようですけれども。

また、駆逐艦だけやたらと元ネタのカテゴリが多いのは、単純に数が多かったからだと思われます。土に根を張る植物の名前を、海に浮かぶ船につけるというのはどう考えても苦しまぎrウォッホン。
建造されなかった駆逐艦の中に「菊」という船もあったらしいんですが、当時の情勢的によく命名されたものですね。万が一にも沈んだらシャレになりませんぜ。

 

今も残る「こんごう」や「しまかぜ」 

名所由来の船名が多い=風流さを連想する名前も多く、特に源氏物語の女性として有名な「明石」などは外国人から「軍艦らしくなくてナヨっちーなHAHAHA!」(超訳)と見られることもあったようです。
こっちこそ「戦争中に恋愛小説読んでるなんて悠長だなwwww」とでも言い返してやりたくなりますが、”敵国の文学を読んで民族性を分析する”という作戦の一環だったんですかね。ならよし(よくない)

ちなみに現在の海上自衛隊の船は、旧軍の船から名前を引き継いでいるものも多くあります。
某これくしょんでも人気の「こんごう」(金剛)や「しまかぜ」(島風)などですね。

元々名所や天候の名前が元ネタなので特に問題はないようですが、海上自衛隊の原型が旧海軍の一部であることを考えるといいのか? という気がするようなしないような・・・。
まあ、「自衛隊とか嘘っぱちwwwwお前ら軍隊だろwwwww」とか常日頃から指摘する方もおりますので、それに比べたら船の名前など些末なことなのかもしれません。

長月 七紀・記

参考:秋津洲 (防護巡洋艦)/Wikipediaより引用 船名/Wikipediaより引用


 

 



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