総じて「長い付き合いがあるもの」が候補になるかと思いますが、たとえ長い期間を共に過ごしたものでなくても、支えになることはままあります。
昭和31年(1956年)12月26日に、ソ連からの引き揚げ船・與安丸が舞鶴に入港したときにも、そんなエピソードがありました。
本日はこの船で帰ってきた人々と、とある動物のお話です。
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誰からともなく「皆で飼おう」という声があがり
與安丸に乗っていた人々は、ほとんどが「シベリア抑留」に遭った旧日本軍の兵士でした。
マイナス数十度という極寒の世界で、共産主義を強制されながらの生活は、現代の日本人には想像もできないほどの厳しいものだったでしょう。
当地では、寒さだけでなく、栄養失調やチフスが原因で多くの人が亡くなりました。
昭和二十八年(1953年)あたりからは赤十字や日本からの荷物が届くようになり、多少は改善されてはいたようですが、それでもいつ帰れるのかわからない暮らしは辛さの極限だったはずです。
そんな中で、あるとき誰かが黒い子犬を拾ってきました。
追い出すこともできたでしょう。
しかし、これまた誰からともなく「皆で飼おう」という雰囲気が広がり、ソ連兵の目から隠しながら飼うことになります。
「黒い毛並みが熊に似ている」ということから「クマ」と名付けられたその犬は、愛想も良かったため皆に可愛がられていたそうです。
ロシアの犬というと、シベリアン・ハスキーやサモエドなどがありますが、クマがどのような犬だったのかははっきりわかりません。
迷い犬だったということですから、純血種の可能性は低そうですしね。
昭和三十一年 捕虜は帰国できることになったが……
しばらくしてクマは立派な成犬になり、隠し通すことが難しくなりました。
さらに、飼い主である日本人たちを守ろうとしてか、ソ連兵に吠えかかることもあったといいます。
ソ連兵の中には拳銃を抜く者もいたそうですが、あまりにも日本人が匿うので、クマを殺すのを諦めたようです。
戦争が終わってソ連兵側にも気持ちの余裕ができたのか、「犬一匹程度、いつでもどうとでもできる」と思ったのか……両方ですかね。
時は流れ、昭和31年――。
クマを守ってきた旧日本兵たちが、やっと帰国できることになりました。
しかし、クマを連れて帰ることはできそうにありません。今でも日本はペットの検疫が厳しいですが、当時も諸々の手続きを考えると、日本に連れて行くのは不可能だったのです。
泣く泣くクマと別れ、旧日本兵たちはハバロフスク~ナホトカの列車に乗りました。
ナホトカには引き揚げ船「興安丸」が来ており、日本人の看護婦(当時の表現のままにさせていただきます)が優しく案内してくれたそうです。
そして船がゆっくりと動き出すと、どこからか船の音とは違う、水をかき分けるような音が聞こえはじめました。
そちらを見ると、何とクマが自らマイナス40度の海に飛び込み、興安丸を追ってきていたのです。
クマが凍え死んでしまう! そのとき船がゆっくりと
「クマ、帰れ!」
いくらシベリア育ちで寒さに慣れているとはいえ、このままでは凍え死ぬ。
船上の人々は叫びました。
「帰るんだ! クマ!」
しかし、クマは諦めません。
いや、もしかしたらクマは「あの人達が呼んでいる、連れて行ってくれる」と思ったのかもしれません。
このまま人々は、クマが死ぬのを見届けるしかないのだろうか?
そんな空気が漂い始めた頃、船はゆっくりと止まりました。
事の次第を知った船長が、船を止めてくれたのです。もちろん、クマを一緒に乗せるためでした。
かくしてクマは、旧日本兵たちとともに日本にやって来ました。
残念ながら、その後、誰に飼われたのか、どこで暮らしていたのかはハッキリしていません。ともかく良かった……。
皆がアニマルセラピーで癒やされれば
よく似た名前の「クロ」という犬の話もあります。
そちらでは「シベリアから一緒に来たのが雌犬のクロ、クロが日本で産んだのがクマ」となっているので、二匹の名前が混ざってしまったのかもしれません。
ちょっとスッキリしませんが、船長の名前も微妙に違うくらいなので、戦後の混乱ぶりがうかがえます。
「クロ」の話では、その後、舞鶴市のある議員さんに引き取られたことになっています。そして「クマ」を産み、「クマ」は興安丸の船長に飼われていたとか。
その後は穏やかに暮らせたと見ていいでしょう。
検疫の問題をどうクリアしたのかは気になるところですが、こういう話でそこまでツッコむのは野暮というものですし。
収容所のような過酷な環境の中、動物が心の支えになったというのは意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、現代でもたびたびある話のようです。
検索しますと、第ニ次世界大戦中あたりから現代のものまで、いろいろな戦線で動物と触れ合う兵士の写真が出てきます。
有名なのは、出撃数時間前といわれる特攻隊の少年たちが子犬を抱いているものでしょうか。
当時アニマルセラピーという言葉や概念はないはずです。
が、最近の研究では「動物を撫でると、オキシトシンというホルモンが出て穏やかな気持になる」ということがわかっていますので、本能的に癒しを求めてそうしていたのかもしれません。
動物を慈しむような気持ちを、各国の首脳同士が相手の一般人や兵士にも向けてくれたら、多少は武力衝突が減りませんかね。
というか、すでにその効能があって、今でも戦いや衝突が抑えられていたりして……。
長月 七紀・記
【参考】
Maizuru-Walker
犬との生活