幾人もの女性を妻にしておきながら、なかなか子宝に恵まれず、やっとできた秀吉&茶々の子・鶴松(棄)。
もとから残虐だったのか。それとも権力を持って人が変わってしまったのか。
天下人・豊臣秀吉の異常性が垣間見えるようになったのはこの頃からだという見方がある。
その代表的な出来事が『聚楽第落書き事件』だ。
聚楽第落書き事件~捨丸は一体誰の子よ? まんが戦国ブギウギ110話
続きを見る
詳細は上記記事に譲るとして、何十名もの罪なき人を処刑にしたのはやはり普通ではなく、その後の朝鮮出兵も耄碌ゆえの愚行というのがあながち否定できないのもそのせいかもしれない。
豊臣秀次の自害事件は、まさにその最中に行われた――。
政宗を睨むはずの蒲生氏郷さんが……
◆織田信長に気に入られ、その娘(冬姫)まで妻に迎え入れた蒲生氏郷さん。
もとは近江の国人で、織田政権でもエリート中のエリートだったが、豊臣政権に変わってからは東北を睨む存在として会津の黒川城(若松城や鶴ケ城とも)へ赴任しておりました。
関ヶ原で東側についた伊達政宗との確執を考えれば、やはり彼の存在は大きかったでしょう。もしかしたら豊臣政権の崩壊の一因だったかもしれません。
享年40才という若さ。残念でした。
摂政関白ならぬ殺生関白とはこれ如何に?
◆ルイス・フロイスの記録によって、あたかも快楽殺人者のように描かれてしまった豊臣秀次さん。
罪人を切り刻んで楽しんでいた――というような描かれ方をされて、完全にそのレッテルが貼られてしまいました。
後に自らも自害へと追い込まれたコトで釈明の場もなく、その話が膨らんでいったのかもしれませんが、いずれにせよこの手の話には尾ひれが付くもんで、ムチャクチャになりがちですわな……。
とりあえず斬れ さぁ斬れ 今すぐ斬れ
◆シンプル・イズ・ベスト!
他の大名や武将からの引き止めもあったでしょうし、秀吉自身の懊悩もあったかもしれませんが、詰まるところそういうこと!という成り行きでしょうか。
別にそこまで慌ててコトを迫る必要もなかったんでは?というのは現代人の考えで、いったん権力のポジションに就くと人がどう変わるのか?ということは秀吉さんが一番わかっていたでしょうからね。
にしても可哀想なのは、連座して殺されてしまった秀次の妻や子どもたちでしょうか……。
武田義信も同じようなキモチだったのか
◆勝頼と秀頼をかけて、呪い死ぬ――って怖い!人って怖いですね><;
ドラマ真田丸では鬱のごとく追い込まれた秀次が勝手に自害するという展開で、実際にそういう説を唱える研究者さんもおられますが、先も述べましたように秀吉が秀次の心変わり(権力への執着)を懸念して追い込んだという見方もまた筋は通りそうです。
まぁ、武田義信の場合は、今川攻めにおける父・信玄との意見違いが実際にあったからという見方が正しそうですが……いずれにしても戦国の世は非情です。
まんが戦国ブギウギ11話 妻LOVEを突き通し次期当主から悲哀の転落
続きを見る
漫画・アニィたかはし
【毎週・月曜日連載】
戦国ブギウギの書籍版です!