まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ 最終回を飾るは「日本一の兵」を率いるあのオトコ

徳川家康は、織田信長豊臣秀吉に匹敵する、あるいは彼らを上回る才の持ち主であっただろうか?

江戸幕府を開き、後に260年の太平を日本にもたらした男は、たしかに織豊政権から続く天下布武の覇業を完成させた。
人を人とも思わない、荒んだ中世に別れを告げられたのも、家康が血の滲むような思いで日本中を走り回ったからであろう。

その一方で、信長が生きていたら秀吉や家康の台頭もなく、さらに秀吉がボケずにいられたら家康の躍進もなかった――なんて見方がある。
要は、彼らの能力が「信長>秀吉>家康」として動かし難いというものだ。

Aさん「天下布武の偉業を6割達成していたのが信長。あとの4割は、次々に敵が降ってくるから、実際にまとめたのは信長であり、やはり最強であろう」
Bさん「いや、天寿を全うし、自身の能力で日本を完全統治したのは、やっぱり秀吉だ。しかも、あの立身出世は信長や家康にはない、絶対的なストーリーでは?」
Cさん「生まれた立場というのも、特長の一つではなかろうか。なんだかんだで部下に殺された信長や、政権の基盤を安定化できなかった秀吉には、何かが足りなかったのだろう」
Dさん「つーか、前田利家は?」

とまぁ、まるで飲み屋のオジサントークで申し訳ない。
いや、つまり、歴史の醍醐味ってのは「平和を学ぶ」とか崇高な目標等ではなく、単純に「面白い!」ということに尽きるのではなかろうか?

そう考えると、戦国時代を完全に終わらせた大坂の陣で、あの二人の男たちが「らしい」エピソードを残しているのが何とも言えない、絶妙な匙加減。

役者は揃った。
戦国ブギウギ、最終回を飾るのは、伊達政宗と真田幸村である――
ゴゴゴゴゴォ~( ・ิω・ิ)

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大助は父と共に 妹たちは伊達のもとに

◆真田大助は、父・真田幸村(信繁)と大坂城に残り、そして最後は秀頼らと共に自刃して果てました。
もはや老齢の域に達していた幸村が戦場を駆け巡ったのとは違い、なんだか『死なないでも良かったんじゃないの?』とすら思ってしまう切ない展開。
というか、伊達家に妹や弟たちの命運を託していたからこそ、潔く散ったのでしょうか。
苛烈にして哀愁。現代人の独りよがりかもしれませんが、戦国時代ってやっぱり心揺さぶられますね。

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一方、そのころマサムネさんは、やっぱり政宗さんだった!?

◆父親を射殺した経験のある伊達政宗にとって、戦場におけるドサクサ紛れの銃撃戦などなんてことはないんでしょうか。
それとも、自らが何度も死線をくぐり抜けてきただけに、豊臣方の攻撃で崩れる「神保隊が悪いんだよ♪」ぐらいの感覚だったのか。
いずれにせよ、この一件で諸大名が呆れてしまったと言いますが、そんなこと政宗さんにとっては瑣末な問題だったのでしょうね。
むしろ「これで家光に面白い話ができるな」と考えていたとか……有り得そうなだけに怖いですw

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赤い彗星、現る!

◆手薄とされた大坂城の南に真田丸を建て、徳川方をコテンパにして追い払った真田幸村。
冬の陣では、堅強な大坂城をバックにした戦法が組み立てられましたが、堀は埋められ、櫓も破壊されまくった同城にそのゆとりはござーせん。
前に出るしかない――。
ドラマでは「馬上筒」を用いて家康の命を寸前のところまで追い込んだ幸村さん。
やはりタヌキのほうが一枚上手だったんですね、残念(´・ω・`)

 

さぁ、撃てよ 撃ってオレの首を持ってけよ

◆戦場を駆け抜けた真田幸村さんが力尽き、やってきた兵に「オレの首を持ってけ」としたのは後世の作り話のようです。
最後の最後で申し訳ありません(´・ω・`)
実際は、戦場の混乱にまぎれて幸村の首もわからなくなり、後の首実検で判明しております。
※武功を挙げたのは福井藩士の西尾仁左衛門(昨年は福井県で展示会も行われておりました)

しかし、だからと言って何なのでしょう。
幸村が家康を追い込んだのは間違いなく、まるでマンガのような突撃で死にゆく様は今我々が思いをはせるだけで涙腺を緩ませる――それだけでよいのではないでしょうか。
幸村と政宗。
戦国時代の最終幕に2人が出てきたのは、神様の差配だったのかもしれません。

って、今回はまだ終わりません!
彼らの登場なくして、やはり物語はしまらない。
大坂の陣を天上から見ていた信長、秀吉、利家の3人は何を思っていたのか……。

 


外野だから好き勝手言える……って、外野なのか?

◆戦のない世の中を――。
信長さんと秀吉さんは、そんなこと考えてなかったんですかね?
というか、そもそも家康さん自身もそこまで考慮していたのでしょうか。
歴史を知る我々からすると、江戸時代が260年も続いたこともあり、まるでそれに向かって努力したように思いがちですが、単に目の前の敵を倒していただけかもしれませんね。
まぁ、前田利家さんには、やはりトップになるまでの底力は足りなかったかも……。

 

殿! も一度、草履を温めさせて~♪

◆個性が豊か過ぎる戦国時代。
その真っ只中に生きた信長さんから見たら、江戸初期の武将たちは、やっぱり小者にしか見えなかったかもしれません。
とはいえ、そんな若者批判は、イコール歳を取った証拠でもあり……この二人のヤリトリはやはりホッコリするものであり。実際に、そうだったんすかね?

皆様、長い間、ありがとうございました!
『戦国ブギウギ』は今回で最終回となりました。
しかーし!
著者のアニィたかはしが完全に筆を置くわけではござーせん。
「小者ばっかりだな」と信長さんが指摘する大坂の陣で、かつて信長さん自身が「永楽通宝の旗」を許可したツワモノ武将もおりました。
そうです、水野勝成です(前回、登場)。

しばしの間、お休みをいただき、今後は『日本史ブギウギ(仮題)』で復活予定であります。
それまでお待ちを~アディオース!

次週へ続く

漫画・アニィたかはし
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