我々が「英雄」と呼んでいる偉人の多くも、だいたいは何かドデカイ短所をもっているのが常です。
本日はその一例に入りそうな、古代のとある軍人。
紀元前15年5月24日は、ローマ帝国の軍人ゲルマニクス・ユリウス・カエサルが誕生した日です。
世界史が好きな方にとっては、何となく見覚えのある単語がくっついた名前ですね。
これは、彼の血筋や業績などから来ています。
ゲルマン人との戦いで功績のあった父ちゃん
ゲルマニクスの父親はネロ・クラウディウス・ドゥルースス。
母親はローマの初代皇帝・アウグストゥスの姪っ子でした。
カエサル=皇帝の名はここからです。
トーチャンは29歳の若さで亡くなっていますが、ゲルマン人との戦いで功績を挙げ、「ゲルマニクス」=「ゲルマニアを征服した者」という称号を授かりました。
そして、息子がこの称号を自分の名前として使ったのです。
また、ゲルマニクスから見ると、ローマの二代皇帝・ティベリウスは叔父で、四代皇帝・クラウディウスは弟にあたります。
ややこしい上にスゴイ親戚関係ですね。
そういう一族だから、といえばそうなのですが。
これで本人がアレだったらフルボッコに遭っていたでしょうけれども、ゲルマニクスは若い頃から将来の皇帝候補とされていました。人柄も良かったようです。
アウグストゥスの次に皇帝になったティベリウスの息子・小ドルススとも親密だったといいますから、何でしょう、この出来杉君は。
しかし、こういう何もかも恵まれた人の場合、それはそれでトラブルの種になることがあります。
正確に言えば、周りの人によって種が蒔かれるといったほうが近いでしょうか。
アウグストゥスが亡くなってティベリウスが皇帝になったとき、軍の一部でゴネる人が出てしまったのです。
「ティベリウスなんかに従うのイヤだ! ゲルマニクス様ならついていきます!」
ティベリウスは軍に人気がなく、当時のゲルマニクスはドイツ方面に出征中でした。
彼は父親に似て軍の指揮能力に優れており、兵の信望を集めていたことが裏目に出てしまったのです。
熱病で急死 シリア総督のピソが疑われ自害する
ゲルマニクスはアウグストゥスの遺志を尊重し、自ら皇帝になろうとはしませんでした。
さらに軍の信頼と士気は高まります。
戦況としては、天候不順やゲルマン民族の戦略によって苦戦したこともありました。
それでも軍や市民の人気は衰えなかったといいますから、よほど日頃の行い良かったのでしょう。
ただ単に「皇帝になりたくない!」とか、まさかそんな……。
いずれにせよ、ゲルマン人との戦いに一区切りつけたゲルマニクスたちは、一度ローマに帰った後、中東へ向かいます。
しかし、です。
カッパドキア周辺まで進んだ後、アンティオキア(現トルコ・アンタキヤ)で熱病により急死してしまうのです。
現在では「マラリアだったのではないか」と推測されていますが、さすがに当時は不審すぎる状況ですわな。
そのため「直前にゲルマニクスと口論をしていたヤツがブッコロしたんじゃないか」といわれ、新しくシリア総督に任じられたピソという人が槍玉に挙がります。
また、ゲルマニクスの妻である大アグリッピナがピソを大々的に口撃したこともあり、ピソは家名のため自害してしまいました。
本当にマラリアだったのなら、ピソが可哀想過ぎる……。
ゲルマニクスはティベリウスの養子になっていたため、順当に行けば彼が次の皇帝になっていたはずです。
前々からの人気と能力からして、皇帝になっていれば、現代でもアウグストゥスの次くらいに知名度があったでしょう。
その場合、子孫であるカリグラやネロとの対比でより際立ったでしょうし。
まぁ「英雄に限って、なぜ後進の育成に失敗するのか」という謎は深まりそうですが。
長月 七紀・記
【TOP画像】
ChrisO/wikipediaより引用
【参考】
『ローマ皇帝歴代誌』(→amazon)
ゲルマニクス・ユリウス・カエサル/wikipedia