1543年5月23日は、ニコラウス・コペルニクスが「天体の回転について」という本を出版した日です。
公的に地動説を唱えた日、と言い換えてもいいかもしれませんね。
コペルニクスの生涯については以前触れていますので、今回は「地動説」という概念の歴史について見ていきましょう。
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初めて唱えたのはコペルニクスではない
実は、地動説を初めて唱えたのは、コペルニクスではありません。
紀元前の時代から天動説が広く信じられてきた理由として
「太陽は毎日同じように登り、沈む」
+
「水平線・地平線は動かない」
=
「太陽は大地の周りを回っている」
という考えがありました。そりゃそうだ。
しかし、月や惑星については見え方や動き方が異なることから、天動説だけで全てを説明できません。
「惑星」と書くのも、かつては「天を惑うように動く星」という意味合いで字を当てられたものです。ギリシア語では「さまようもの」「放浪者」という意味の単語だったとか。
こうしたことから疑念を抱き、天体観測を行って、地動説に近い仮説を立てていた人たちが紀元前の時点で存在しています。
フィロラオス「宇宙の中心に炎がある」
一人は、紀元前5~4世紀のフィロラオスという人です。
「宇宙の中心に炎があり、地球や太陽、そして全ての星がその周りをまわっている」と考えていました。
つまり、地球も太陽も絶対的なものではないと考えていたことになります。
当時としては、かなり斬新な考えだったでしょうね。
現代の天文学では
「太陽は銀河系の中心ではない」
「銀河系も他の銀河も常に動いているため、固定された”宇宙の中心”は存在しないが、便宜的に中心を決めて観測する」
とされていますので、フィロラオスの考えはおおむね正しかったといえるでしょう。
古代史ではたまに「こいつ未来人か?」レベルの頭脳や発想を持った人が出てきますが、彼もその一人でしょう。
「反地球」という現実にはない天体の話もしているおかげで、未来人ではないことがわかりますけれども。
アリスタルコス「巨大な太陽が回るのはおかしい」
フィロラオスから100年ほど後のアリスタルコスも地動説(仮)を唱えていました。
彼は
「地球は自転している」
「太陽を中心として、5つの惑星が公転している」
と考えています。
観測と計算によって「太陽は地球の20倍もの大きさをしているはず。そんな巨大なものが地球の周りを回るのはおかしいのではないか」というところから、こういう説に至ったのだそうで。
5つの惑星については、人間が肉眼で観測しやすいのが水星・金星・火星・土星までだからでしょうかね。
目のいい人であれば現代でも天王星まで見えるそうですので、古代ギリシアなら見えたかもしれません。
聖書や神にそぐわないものは全部悪魔の教え
こうした下地があったのに、ではなぜ1000年以上もの間、地動説の研究が止まってしまったのか?
実は、そこにもキリスト教が大きく関係してきます。
4世紀頃からローマ帝国でもキリスト教が広まり、「聖書や神にそぐわないものは全部悪魔の教え」という極端な考えが主流になったことが主な原因です。
しかも帝国公認で武力行使してくるのですから、兵を持たない学者たちはたまったものではありません。
そのせいで、当時最大の所蔵量を誇っていた、アレクサンドリアの大図書館も燃やされてしまいました。
信仰心と暴力が結びつくと、ろくなことにならない典型例ですね。
この辺のことは5世紀の女性天文学者・数学者であるヒュパティアの生涯を主軸とした映画「アレクサンドリア」で描かれています。
少々セクシーなシーンがあるので、誰かと一緒に見る場合や、そういうのが苦手な方はちょっと注意したほうがいいかもしれません。
また、「このシーンの後にこうなってるんだから雰囲気でわかるだろ? わかるよな?」みたいな雰囲気が漂うので、きっちり話がつながってないとモヤモヤする方にもあまり向かない……かも。
スペイン映画ってそんな感じの構成が多い気がします(※個人の印象です)
宗教絶対!の中世で都合の悪い天文学
科学はなぜ、宗教の目の敵とされるのか
最もシンプルに考えると、一般人が勉強をして知恵をつけると、教会の教えの矛盾点を付かれて支配しにくくなるからでしょう。
“戦国時代の日本で宣教師がキリスト教を広めようとしたとき「庶民がアレコレ矛盾を付いてくるので布教がはかどらない。日本には最高レベルの宣教師を連れてこないといけないかもしれない」と思った”なんて話がありますしね(もっともこの話は真偽不明です……)。
イスラム圏では地動説の研究が細々と続けられていた節がありながら、やはりイスラム教義と噛み合わず、おおっぴらに主張できる学者もいなかったようです。
中世社会においての宗教は、我々の想像以上に絶対的な存在です。
ルネサンス期に再び科学が発展するまで、フィロラオスやアリスタルコスのように、ヨーロッパで地動説を主張する者は現れませんでした。
そこで改めて地動説を唱えたのがコペルニクスだった……というわけです。
ニュートンの万有引力を機に地動説も浮上し始める
「天体の回転について」はコペルニクスの最晩年……というか亡くなる直前の出版だったため、彼自身が大きく批難されることがなかったのは幸運だったでしょうね。
コペルニクスの時代になっても、天動説派の観測精度が高かったこともあり、地動説がすぐ受け入れられたわけではありませんでした。
お馴染みのガリレオ・ガリレイや、以前当コーナーでも取り上げたジョルダーノ・ブルーノが教会に逆らって割を食った(どころではない)最たる例ですね。
その後ニュートンが万有引力の法則を発見したことにより、カトリックの中でも地動説を受け入れる人が少しずつ増えていきます。
現代でも地動説を信じていない人はいるのですけれども……まあ、それで日々の生活や人命が関わるのでなければ、別にいいんじゃないですかね。考え方の押しつけイクナイ。
日本や中国では?
ちなみに、キリスト教やイスラム教が主流ではなかった中国・日本ででは?
天動説・地動説という概念が育たなかった理由はよくわかりません(´・ω・`)
日食・月食は吉兆を占うもの、天文学は暦を作るためのものであり、「どれがどのように動いているのか」といった主従関係に興味を持たなかったんですかね。
東洋社会で天体の話が出ると、だいたいそういう流れになるので。
一応中国で地動説っぽい話が出たことはありますが、中国神話の影響が伺えるようなダイナミックな話で、西洋のものとは一線を画しています。
「洋の東西によって、同じものを見ていても捉え方や意味合いが全く異なる」という例の一つかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
『ラルース図説 世界史人物百科〈2〉ルネサンス‐啓蒙時代(1492‐1789)』(→amazon)
地動説/wikipedia
天文学史/wikipedia
アレクサンドリア図書館/wikipedia
ヒュパティア/wikipedia