って聞かれたときに便利なのが「読書」や「音楽鑑賞」ですよね。
しかし、ヘタすりゃ「どの作家(作曲家)が好き?」と深掘りされて困ったりして、今回はそういうときの下準備になる……かもしれない、とある作曲家さんのお話。
1934年(日本では昭和九年)5月25日は、グスターヴ・ホルストが亡くなった日です。
組曲『惑星』の作曲者として有名ですね。
今回はそれ以外の点も併せて見ていきましょう。
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トロンボーン奏者でもあったグスターヴ
グスターヴは1874年、ロンドンから160kmほど北西にあるチェルトナムという場所で生まれました。
温泉の町として知られており、王室御用達の保養地でもあります。
それに従って、一般人も多く訪れる町として栄えていきました。
おそらくは、保養のために来たのがきっかけで、定住した人もいたのでしょう。
グスターヴの家も元は北欧系の移民だったそうで、もしかしたらご先祖様もそういうキッカケで来たのかもしれません。
グスターヴの父親はピアニストでした。
家庭を顧みないタイプで、母親もグスターヴが8歳の頃に死に別れたため、父方の伯母に育てられています。
なかなかハードな人生のスタートです。
そんな環境では父親を恨んだりグレたりしてもおかしくないですども、音楽の素養は受け継がれていたらしく、やがてロンドンの王立音楽院で学ぶようになりました。
当時はトロンボーン奏者であり、卒業後はオーケストラの一員として働いていたこともあったようです。
作曲家自身の手による演奏というのはあまり聞けませんから、当時に録音技術があれば……と惜しい気もしますね。
また、若い時期にはヒンズー教やサンスクリット語などインド文化に興味を持ち、それを題材とした曲も書いたこともあります。
こちらはあまり高い評価を得られなかったようで、食いぶちを稼ぐために音楽教師をしながら作曲を続けていました。
31歳から生涯、女子校で音楽教師を続けた
ロンドン近郊にあるセント・ポール女学校での音楽教師の仕事は、31歳の時から実に亡くなるまで続けています。
代表作である組曲『惑星』もここで勤めている間に書かれたものです。
当時の生徒たちは「ウチの先生って実はすごい人だったのね!」と驚いたでしょうね。一時的にすごくモテたりして。
他に室内楽曲も書いてますが、『惑星』があまりにも特徴的すぎたためか、話題に登ることはありませんでした。
グスターヴ自身は不満だったようですね。だいたい創作の世界って本人のお気に入りほどウケない気もしますが……。
『惑星』は音楽の授業で扱われることも多いので、何となく聞き覚えがある人も多いでしょう。
グスターヴは東洋思想の他にも、占星術やローマ神話に強く興味を抱いていました。
そこから着想を得て作ったのが『惑星』だといわれています。
そのため、順番がいわゆる「水金地火木土天海冥」ではなく「火金水木土天海」になっています。
星占いでお馴染みの十二星座それぞれに対応する惑星の順番になっているんですね。
星座でいうと
牡羊座(火星)
牡牛座(金星)
双子座(水星)
射手座(木星)
山羊座(土星)
水瓶座(天王星)
魚座(海王星)
の順となり、『惑星』の順番と一致します。
抜けている星座は惑星がダブっていたり、月や太陽と対応しているとされるものです。
『惑星』は最初、ピアノやオルガンの曲として作られ、後にオーケストラ用に編曲されました。
グスターヴは持病として腕の神経炎を患っており、編曲した際の楽譜は代筆を頼んだ部分も多いそうです。
むろん構想は彼のものだといわれています。
そうでないと、編曲者の名前が残っていないことが問題になってしまいますもんね。
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