河井継之助

河井継之助/wikipediaより引用

幕末・維新

幕末長岡のラストサムライ・河井継之助~財政改革を成功させ戊辰戦争へ

幕末の戊辰戦争で敗者となった越後長岡藩の家老・河井継之助(かわいつぎのすけ)

2013年の大河ドラマ『八重の桜』にも少しだけ登場し、新政府軍幹部からは

西郷隆盛ほどの年齢に達し、彼ほどの度量があれば、長岡戦争は避けられたであろう」

と評されておりました。

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残念ながら大河ドラマ『西郷どん』では戊辰戦争がほとんど描かれておりませんでしたので、もしかしたら河井継之助については

・ガトリング銃(機関銃)を導入した

ことぐらいしか知られていないかもしれません。

それではもったいない。

本当はすごいラストサムライだったのです。

 

藩主・牧野忠雅に見出されて藩政改革に取り組む

幕末においては執政として藩政を担った河井継之助。

父は家禄120石の勘定奉行と、さほど良い家の出身ではありませんでした。

が、若い頃に日本のあちこちを放浪しながら勉学に励んでいたそうで、特に長崎を訪れてからは開国論に傾きました。

継之助にとってラッキーだったのは、藩主・牧野忠雅が非常に話のわかる人だったことでしょう。

忠雅は幕府の老中としてペリーの黒船来航へ対処したこともあり、身分を問わず家臣から幅広い意見を募っていました。

その中で継之助が提出した第二次長州征伐(幕府が敗北する)へ幕府側に立って参戦することに反対する意見書が目に留まり、「お前に任せたい仕事があるから、長岡へ戻って来い」と命じられるのです。

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こうして慶応2年(1866年)に大抜擢された継之助は、家伝の会計能力と西洋の知識を存分に生かして藩政改革に力を注ぎます。

 

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彼が目指したのが、まず「庶民を豊かにすることで藩の財政を立て直す」という、現代の日本人が聞いても羨ましい立派なものでした。

実際に、

・代官の収賄禁止

・100石以上の藩士の禄は減らし100石以下のものは増やす

・水が腐ったような土地の免税

・川の通船税取立て廃止

などを敢行。

わずか1年で藩の余剰金9万9000両を残すまでになります。

当然、重臣たちから「殿に気に入られたからって偉そうに!」と反感を買ってしまいました。

が、空気なんて読まない継之助はめげません。

河井継之助/wikipediaより引用

その後、大政奉還などいろいろあった後に戊辰戦争が勃発。

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当初、長岡藩は新政府軍にも幕府軍にもつかず、中立を保ちながら両軍の仲立ちをしようとしていました。

「国内でごたごたしてもしょうがないだろ! 今、外国が攻めてきたらどうする気なんだ!」というわけです。

ただ、大政奉還後に、幕府と薩長を調停しようと名乗り挙げたのはいいのですが

「もう一度、徳川に任せたらどうだろう」

なんて、藩主の名代としてKYなことを言ってしまったのが後に響きます。

長岡藩の牧野家は、薩長のような外様大名ではなく、徳川に恩のある譜代大名だったからです。

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