絵・富永商太

信長公記 足利家

義昭が信長へ宛てた手紙に「父」の文字~超わかる信長公記55話

永禄十一年(1568年)9月~10月にかけて、足利義昭の上洛と将軍就任を無事成功させた信長。

同年10月24日には、早くも岐阜へ帰る旨を義昭に告げております。

将軍宣下が22日で、それから義昭主催の観能会(能を見るイベント)も開催しておりますから、すさまじいスピードです。

義昭主催「観能の会」の演目は? 戦国初心者にも超わかる信長公記53話

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「用事は全部終わったし、地元のこともあるからすぐ帰りたい」
というのが、信長の本音だったのでしょう。

 


貴殿の武勇が天下第一である何よりの証拠

しかし、この旅程は、さすがに忙しないものでした。

義昭としては、これから十重二十重にも感謝の念を伝えたいところ。
それでいて要職就任は断られていますから、なんとかして謝意を伝えたかったのでしょう。

足利義昭/wikipediaより引用

25日、義昭は以下のような感状を信長に送っています。

”この度の上洛について、途中での征伐がごく短期間に終わったのは、貴殿の武勇が天下第一である何よりの証拠。
また、我が家が再興できたのも、ひとえに貴殿のおかげ。
今後もますます頼りにさせてもらいたい。
詳細は、細川藤孝と和田惟政から伝えさせる。

十月二十四日
御父織田弾正忠殿”

おそらく24日に挨拶され、信長が帰った後に急いで手紙をしたため、翌日、藤孝や惟政に届けさせたのでしょう。

原文は漢語なのでかなり意訳しましたが、文章自体のたどたどしさもさることながら、宛名の「御父」に義昭の感情の高まりぶりが窺えます。
というのも両者の年齢差はわずか3歳だったのです。

 


「父」という表現以外に思いつかなかった?

信長は天文三年(1534年)、義昭は天文六年(1537年)生まれ。
歳だけ考えれば兄とか先輩のようなものですね。

しかし義昭にとっては「父」という表現以外に、感謝を表す言葉が思いつかなかったと考えられます。

この頃の義昭にはまだ子供がいなかったので、既に子沢山だった信長に、何かしらの父性を感じたのかもしれませんね。

【1568年時点での信長の子(生年)】

◆長男:織田信忠(1555年)
◆二男:織田信雄(1558年)
◆三男:織田信孝(1558年)

※信長の子は、全部で男児十一男・女児複数名とされます

上洛の道中で、信長は「常に先に進み、事が終わってから義昭を呼ぶ」というパターンを繰り返していました。

こうした一連の流れの中に
【父親が子供を先導するような】
丁寧さ優しさを感じられたのかもしれません。

なんせ義昭は、これでは足りないと感じたのでしょう、追伸まで出しているのです。

 


桐紋と引両筋を遣わす

義昭が続けざまに信長へ宛てた手紙は以下のようなものでした。

”この度の格別な働きに対する祝儀として、桐紋引両筋を遣わす。

御父織田弾正忠殿”

この二つの紋の使用許可を出すことで、義昭は信長への感謝を示そうとしたようです。
エライ人の家紋を使えるようになるのは、一般的に名誉なことですからね。

桐紋は「五三桐」というタイプのものです。

最も有名な信長の肖像画にも、かみしもの肩の部分に描かれていますね。

織田信長/wikipediaより引用

元は皇室の紋で、足利尊氏が後醍醐天皇と対立する前に下賜されていました。
それをさらに信長が拝領した――ということになります。

引両筋は「丸に二引両」の紋のことです。
円の内側に二本の直線が入った紋で、足利家の家紋のひとつでした。

足利二つ引/wikipediaより引用

源氏の血を引く家でも、よく使われています。

とはいえ、既に副将軍や管領職を辞退していた信長が、紋を拝領してありがたいと思ったかどうかは怪しい感じもします。

義昭が感謝していることは理解できたでしょうし、この時点では良好な関係だったといってもいいのではないかと。

長月 七紀・記

※信長の生涯を一気にお読みになりたい方は以下のリンク先をご覧ください。

織田信長
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る

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信長公記

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link


 



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