絵・富永商太

信長公記 文化・芸術

義昭主催「観能の会」の演目は? 戦国初心者にも超わかる信長公記53話

今回は、当時の状況や信長の価値観が少し伺えるお話です。

上洛に功績のあった人々を労おうと、足利義昭が観能の会を開くことになりました。
最初は十三番演じる予定でしたが、織田信長が反対したため、五番に変更されたといいます。

理由はこの通り。

「京の周りは落ち着いたが、まだ地方まで定まったわけではない。戦いが終わったわけではないのだから、祝うにしても、規模は謹んだほうがいいでしょう」

確かに信長の言う通りですよね。

現在でも、能を五番演じるには一日がかりになるため、
【二・三番】+【狂言を一・二】
演じるということがほとんどです。

また、現代行われている五番立は江戸時代にできた形式で、五つの能の間に四つの狂言を演じるもので、信長の時代は違ったと思われます。
『信長公記』(著:太田牛一)にも、どの能を演じたかは書いてありますが、狂言については触れられていません。

 


細川昭元邸で開催

観能の会は、義昭の仮御所となっていた細川昭元邸で行われました。

このとき義昭の使者として古賀通俊・細川藤孝和田惟政らが信長のもとを訪れ、言伝ことづてをしておりました。

「信長殿に、副将軍か管領になってもらいたい」

足利義昭/wikipediaより引用

信長はこれをキッパリと断っています。

なぜ断ったのか?
真意は不明ですが、他の人々は「そんな高待遇を望まないなんて、珍しいお方だ」と感心していたそうです。
こういった点は、現代でも議論の的となるところですね。

そして同日に演じられた、五番の能の内容を簡単に説明すると、以下のようになります。

 


一、高砂たかさご

醍醐天皇の時代――。
肥後のとある神主が船で京へ向かう途中、播磨(兵庫県)の高砂というところに着いた。

ここの名物だという見事な松の木を見ていると、近くに住んでいるという老婆と、遠く離れた住吉に住んでいる老人という、不思議な夫婦にその松の由来を話してくれた。
実はその夫婦は……。

途中のうたいが結婚式の「高砂席」の由来となっているなど、全体的に醍醐天皇の平和な治世を言祝ことほぐ、おめでたい感じの話です。

この話の元ネタは、兵庫県高砂市の高砂神社にある相生あいおいの松だそうで。
相生の松とは、松の雄株と雌株が寄り添うように生えたもののこと。その様子が仲睦まじい夫婦を連想させることから、結婚や夫婦円満に結び付けられてきたようです。

また、松そのものが常緑樹であるため、長寿や健康の象徴とされてきました。

これらの点から、能の「高砂」はお祝い事に欠かせない曲となりました。
時代が前後しますが、江戸時代には徳川家の祝言でも定番の一曲となっています。

 


二、八島(屋島)

旅の僧が、ある日屋島の戦いが行われた場所の近くを通りかかり、そばにあった塩屋(※)で一晩休もうとしていると、やたらと詳しくその様子を語り聞かせる漁師に出会う。

僧が不審に思っていると、漁師は「潮の引く頃に我が名を名乗ろう」と言って、どこかへ行ってしまった。
そこに塩屋の本当の持ち主がやってきて……。

源平合戦ネタは能の定番かつ、人気の高いジャンルです。

中でもこの「八島」は、武人がシテとなる修羅物の中でも、勝者側がメインになる珍しい話。
当時の状況に沿って選ばれたと思われます。

 

三、定家

平安末期~鎌倉初期の「式子内親王と藤原定家が恋仲だった」という俗説を元ネタにした、恋の罪や情念の深さを描くお話です。
メロドラマ的なところがあるので、ある意味現代にもウケる話かもしれません。

 


四、道成寺

紀伊の道成寺(和歌山県日高郡)に伝わる安珍あんちん清姫伝説きよひめでんせつの後日談として作られたお話です。

伝説自体にもいくつかパターンがあるのですが、おおまかに三行でマトメてみましょう。

①美形の僧侶・安珍に清姫という女性が一目惚れした

②しかし、聖職者なので安珍はそう簡単になびく訳にはいかず、清姫に嘘をついて逃げた

③清姫がマジ切れし、怒りのあまり蛇になってしまい、安珍を殺して自分も自殺した

現代風に言うなら「ヤンデレ」でしょうか。
少なくとも平安時代からあった話らしいので、似たような事件が昔もあったのでしょう。

能の「道成寺」は、この伝説の後日談をアレンジしたもの。

”安珍が最後にとあるお寺の鐘の中に逃げて焼き殺されたことにちなみ、鐘の供養をすることになりました。
……が、そこに清姫の怨霊が現れて……”

というものです。

 

五、呉羽

この曲は廃れてしまったらしく、現代では詳細がよくわかっていません。

ただし、能を一日に五曲演じる「五番立」の「五番目物」というのは、怨霊や鬼・妖怪、あるいは神仏が主役となるのがセオリー。
五番目物のオチは比較的ハッピーエンドに近いものが多いですし、この日の演目の流れや当時の状況などを考えると、おそらくは「呉羽」もそのようなストーリーだったと思われます。

似通った流れの話が多いのは、能にある程度”お決まり”のストーリーラインがあるからです。

「定家」などは「夢幻能」と呼ばれるもので、
”旅人が不思議な人物に出会い、話を聞くうちに不思議な体験をし、やがてハッと目が覚める”
という点が共通しています。

現代風に言えば「夢オチ」ですかね。
元ネタはだいたい源平時代の武将や、朝廷の歌人にまつわる実話や伝説。タイムスリップものとも似通ったところがありますね。

これに対し「現在能」というジャンルもあります。
こちらはその名の通り、物語の中では現在進行系で話が進んでいきます。

もう少しわかりやすくいうと、例えば源義経をテーマにした能では、次のようになります。

・義経が幽霊として出てきて、主人公に昔語りをする
→夢幻能(「八島」など)

・義経本人が主役であり、他の人物も当時の人々が出てくる
→現在能(「安宅」など)

終わった後は、役者はもちろん、一座の者や鬘師にまで信長からの引き出物があったとか。

バラマキといえないこともないですが、こんな景気のいいことをする大名も珍しかったでしょうから、もらったほうは喜びもし、これからの励みにもなったでしょう。
番組を縮めただけではケチくさいと思われかねませんからね。

信長の、この辺のバランス感覚はさすがです。

余談ですが、織田信長の嫡男・織田信忠、そして豊臣秀吉もこよなく能を愛しておりました。
秀吉など、新作となる「太閤能」を作らせるほどで、大和四座を支配下において保護したほどでした。

こうして権力者に愛されたからこそ、今にまで残っているんですね。

イラスト・富永商太

※大和四座……金春・観世・宝生・金剛

長月 七紀・記

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【参考】
文化デジタルライブラリー
the能.com
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link


 



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