ヘレン・ケラーとサリヴァン/Wikipediaより引用

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日本と縁深い”奇跡の人” ヘレン・ケラー「この世で一番哀れなのは……」

1880年(明治十三年)6月27日、ヘレン・ケラーが誕生しました。
聴力・視力・発声の全てができなくなった「三重苦」から立ち直った人として有名ですね。

幼少時の高熱によりこうした状態になってしまったそうなのですが、病名がわからないあたりが何ともいえません。
どなたか研究されてたりするんでしょうか。

伊達政宗なんかははっきり「疱瘡にかかった後、右目を失明した」と判明しておりますし、19世紀後半で病名が不明というのも何だかモヤっとしますね。

それはさておき、ヘレンの場合、発声については後々ある程度回復できたそうなので、”盲ろう者”と表現されていることもあります。
彼女の発言とされるものがいくつか残っているのもこのためでしょうか。

「どのように言葉や学問を身につけたのか?」
というのは、恩師であるサリヴァン先生の記事をご覧いただければと存じます。

”奇跡の人”はサリバン先生のことだった? アン・サリヴァンとヘレン・ケラー

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代わりといっては何ですが。

今回はヘレンと日本との関係についてお話しましょう。

ごくごく最近の方ですので、当時をご記憶の方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんね。

 


江戸時代の盲人・塙保己一を模範に?

彼女と日本とのつながりは、サリヴァン先生と出会う前後=10歳になるかならないかくらいから始まっていたと思われます。

江戸時代の盲人であった塙保己一はなわほきいちの話を両親から聞いていて、模範にしたといわれているのです。
彼は手先が不器用だったため、当時盲人の仕事とされていた鍼師・灸師ができず、学問に生きることで身を立てた人でした。

塙保己一/wikipediaより引用

保己一が字を覚えたのも「手のひらに指で字を書いてもらった」という方法だったそうです。
日本では昔から琵琶法師や旅芸人など、盲人も社会の一員として仕事を持つことが珍しくありませんでしたので、このあたりにもヘレン・ケラーが惹かれていたかもしれません。

不思議なことに、日本神話や皇族・公家でも何かしらの障害があったとされる人や神が珍しくないんですね。
キリスト教とかだと最初から完璧な人間が出てきますけど、日本神話だとイザナギ・イザナミの最初の子供がヒルコですし。

 


「日本の盲人たちのために協力してもらえないか」

そして障害を少しずつ克服していったヘレンは、ラドクリフ女子大学(現・ハーバード大学ラドクリフ研究所)を卒業。
在学中に『わたしの生涯』という本を出版し、障害者の存在を世の中に広く知らせ始めていました。

卒業後はアメリカ社会党に入り、女性をはじめさまざまな人の権利を獲得するための政治活動のかたわら、著作も続けています。

一方そのころ日本では、岩橋武夫という人が視覚障害者のための団体を作っていました。

彼は早稲田大学理工学部に通っていた頃視力を失い、関西学院文学部に入学し直して教師になったという異色の経歴の持ち主。
この岩橋はアメリカのヘレン宅を訪問し、「日本の盲人たちのために協力してもらえないか」と頼んだのです。

当時はサリヴァン先生の体調が思わしくなかったため、ヘレンも迷ったそうです。

が、サリヴァン先生本人が「日本に行ってあげなさい」と勧めたので、来日を決めたのだとか。
実際の来日はサリヴァン先生が亡くなった翌年のことでしたが、そりゃあれだけお世話になってきた人ですから、最後までそばにいたいですよね。

ヘレン・ケラー2

ヘレン・ケラー(1912年11月)/wikipediaより引用

 


この世で一番哀れなのは、目が見えていても未来への夢が見えていない人だ

日本では昭和天皇への謁見を皮切りとして、塙保己一記念館や盲学校を訪問。
講演でも各地を訪れました。

この頃から、岩橋の他の障害者とも親交を結んでいます。

四肢を失いながらも裁縫や人形作りができるまでになった中村久子という女性については「私より不幸な人、私より偉大な人」と最大級の賛辞を送っており、サリヴァン先生と出会うまではろくにしつけもされず、ワガママ放題だった人とは思えないほどです。
ホント教育って大事ですね。

しかし、いつの時代も成功した人に対する嫉妬の目は存在します。

ヘレンも例外ではなく、日本人の中には「あれは盲目を売り物にしているんだよ!」なんて暴言を吐く人もいました。
努力して障害を乗り越えた人に対して失礼にもほどがある。

この発言をしたのは巣鴨プリズンで収監されていた人だったそうなので、障害を克服して世界を飛び回れるヘレンが羨ましかったのかもしれませんが……。
彼女の耳に入っていないことを祈るばかりです。

「この世で一番哀れなのは、目が見えていても未来への夢が見えていない人だ」
(The most pathetic person in the world is some one who has sight but no vision.)
という言葉を残している人ですから、正論でもって対抗したかもしれませんが。

個人的にも何度か経験がありますけども、最近は本人の希望があれば障害があっても普通学級の一員として生活しているケースが多いように思います。
そのため、かつてのように障害”だけ”が原因で偏見の目に晒されたり、問題が起きるようなことは減ってきているようですね。

医学の進歩により回復方法が見つかるまでは、当人も周囲も、ただ普通に暮らしていけるようにしたいものです。

長月 七紀・記

【参考】
ヘレン・ケラー/Wikipedia
DINF
eStory Post


 



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