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戦国関白・近衛前久は信長や謙信とマブダチ! 本能寺後に詠んだ南無阿弥陀仏

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近衛前久
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「明智とつるんでた?」と秀吉に嫌疑をかけられ

かくして信長の信頼を得た前久は、九州方面の大名や本願寺との連絡・折衝役を任されます。

特に本願寺との調停を見事に取りまとめたことで、信長からは「天下が定まったら近衛家に一国あげるね!」(超訳)とまで喜ばれたとか。

その後も甲州征伐に同行したりと、織田家と近衛家の仲は長く続くかに見えました。

しかし、そこで起きたのが本能寺の変だったのです――。

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親友・朋友・戦友であった信長を突然失ってよほど悲嘆したのか。前久は髪を落として僧になってしまいました。

豊臣秀吉織田信孝からは「近衛邸から明智軍が発砲したらしいですね^^」(※イメージです)とあらぬ疑いをかけられてますし、つくづく争いの世が嫌になっていたことでしょう。

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自分と家を守るため、その後は徳川家康に近づいて庇護を求めています。

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このときもわざわざ浜松まで行っているので、フットワークの軽さは変わっていなかったようです。

小牧・長久手の戦いでは秀吉と家康の和議が成るまで、戦々恐々としていたことでしょう。

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政治上の駆け引きは得意でも、戦の経過までは先読みできませんからね。

 

信長への追悼歌

その後は静かに暮らしていたようですが、ひとつ目立つ動きとして、信長の七回忌があります。

信長を悼んで『なむあみだぶ(ふ)』の一字ずつで始まる六首の歌を詠んでいるのです。

ちょっと長くなりますが、載せておきましょう。

適宜漢字などを読みやすくしてあります。

【前久から信長への追悼歌】

(な)
嘆きても 名残つきせぬ 涙かな なお慕わるる 亡きが面影

(む)
睦まじき 昔の人や 向かうらむ むなしき空の むらさきの雲

(あ)
あだし世の 哀れ思えば 明け暮れに 雨か涙か あまる衣手

(み)
見てもなお みまくほしきは みのこして 峰に隠るる 短夜の月

(た)
尋ねても 魂(たま)のありかは 玉ゆらも たもとの露に 誰か宿さむ

(ふ)
更くる夜の 臥所あれつつ 吹く風に 再び見えぬ ふるあとの夢

五・七・五・七・七が全て始めの一文字と同じ字で始まる、技巧的になかなかにスゴイ歌です。

しかしそれ以上に、これらの歌からは親しい友の死を嘆く、前久の素直な心情が詠まれている気がします(´;ω;`)ブワッ

本能寺の変の動機が「前久黒幕説派」の方からすると、これらの歌もカムフラージュに見えそうですが……。

それならわざわざ六首も詠まず、一首だけ詠んで「信長の死を悼んで」とでも詞書(和歌が詠まれた状況などに関する注釈)をつけておけばいい話です。

信長の七回忌の頃には、とっくのとうに秀吉の天下になっています。その段階で、六首も読むほど気合を入れて、信長を悼む”ふり”をする必要はないでしょう。

その間に秀吉を養子にしていますから、天下人の(名目上の)後ろ盾になったことで、保身は充分でした。

 

弘前藩(津軽藩)の姫が亡くなったときにも六首

そうなると、やはり前久は純粋に友人の死を悼んだのではないか……という気がします。

文字通りあっちこっちを駆けまわった前久には、他に友情を温めた人もいなかったでしょう。

また、江戸時代に入ってからのことですが、親交のあった津軽家の姫が亡くなった際に、同じく『なむあみだぶ』で始まる六首を詠んだとされています。

こちらについては詳細が不明ながら、もしも事実だとすれば、前久はかなり情の濃い人だったのでしょう。

もう少し詳しいことがわかる史料が出てくればいいのですけれども……まあ、本能寺の謎が解けることを祈りましょうか。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)』(→amazon
『秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇 (SB新書)』(→amazon
『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
近衛前久/Wikipedia
近衛龍山筆津軽富姫弔歌/弘前市

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