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【上泉信綱】
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中央での出世や権力には興味ナシ
元亀元年(1570年)に【従四位下】という位階をもらったことも、言継卿記に書かれています。
どのくらいエラいのか?
といいますと、秀吉政権時代に大名の嫡子が初めてもらう位が従四位下ですから、なかなかのものです。
日頃から公家とお付きあいがあっただけでなく、剣術を天皇の前で披露してもいたので、その辺も評価されたんですね。
とはいえ位階をもらった翌年(1571年)には京を出て行ってしまうので、中央での出世とか権力には興味がなかったのでしょう。
剣豪っぽいストイックさです。
このとき言継から下野国(栃木県)の結城家へ紹介状を書いてもらったとのことなので、おそらく結城晴朝(家康の次男・結城秀康の義理のお父さん)に何かしらやっかいになったと思われます……。
ただ、言継卿記にもさすがに関東のことまでは書かれていないので、信綱の足跡はここで絶たれてしまいました。
そのため、亡くなった日付も場所もあいまいになっているというわけです。
天正五年(1577年)ではなく天正元年(1573年)が没年との説もあります(山科言継編『歴名土代』)。
木刀で怪我したら意味ないから、と竹刀を発明!
最後に「竹刀」について見ておきましょう。
それまで剣術の稽古は木刀を使うのが主流。死傷者が出るのも珍しくはありませんでした。
信綱は「それじゃ意味ないだろ」と考えたらしく、剣と同様に扱えてより殺傷力が低く、稽古向きの「蟇肌撓(ひきはだしない)」という新しい道具を作りました。
割った竹を馬の革で包み、漆を塗ったもので、現在の竹刀へと繋がります。
現在でも柳生新陰流や他の流派で多く使われており、そう考えると「剣道」の始祖としても捉えてよいかもしれません。
また、映画の殺陣ばりにカッコよすぎる逸話もあります。
ざっとマトメますと……。
あるとき、信綱は旅の途中でなにやら騒ぎに遭遇しました。
村人に話を聞くと、通りすがりの不届き者が村の子供を人質に取って小屋に立て篭もるという、困った状況とのこと。
腕の立つ者が村にはおらず、説得しようにも犯人は聞く耳持たずで難儀していたそうです。
「剣を持つ者として許せん!」
そんな正義感に駆られたのか、それとも「子供を見殺しにすんのも後味が悪いしなあ」とイヤイヤだったのかまではわかりませんが、信綱は一策講じました。
居合わせた僧侶から袈裟を借り、さらに村人から「子供を助けるために、ちょっとおにぎりを作ってくれ」と頼んだのです。
村人はチンプンカンプンだったでしょうが、藁にもすがる思いでおにぎりを用意してくれました。
そして信綱は袈裟に着替えてくるなり、立て篭もり中の小屋に向かって「いつからそうしてるのか知らんけど、お前もその子も腹減ってきてるんじゃないか?ここにおにぎりがあるから、とりあえず食べな」と穏やかに話しかけました。
図星だったのか、犯人はあっさりそのおにぎりを受け取りに出てきます。
そこを信綱ががっちり取り押さえ、誰にもケガをさせることなく子供の救出に成功した……。
映画『七人の侍』(の1シーン)の元ネタになったと言われている出来事です。
地名や時代が全く伝わっていないので信憑性に疑問符がつきますが、もし事実であればおそらく京を出てから結城家へ向かうまでの話でしょうか。
言継に話していれば、おそらくや『言継卿記』に記録されていたでしょうから。
もしかすると京に行くまでの出来事で、すっかり忘れてたって可能性もありますけども。
あるいは本人からすると、たいしたことじゃなかったかもしれませんね。
なんせ信玄の誘いを断っているぐらいですし。
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長月七紀・記
【参考】
国史大辞典
『日本剣豪100人伝』(→amazon)
『日本武術達人列伝: 剣豪・柔豪・昭和の武人』(→amazon)
上泉信綱/wikipedia