フィクションにおける豊臣秀吉と前田利家と言えば、こんな会話がありがち。
秀吉「又佐よ、幼馴染のおみゃーに、加賀百万石をくれてやる」
前田利家「ありがたき!」
戦国ファンの皆様なら、ドラマや漫画で一度は見たことあるように思えるが、実はこんなセリフは成立しなかった。
一体どういうことか?
本日5月31日から6月2日にかけて【加賀百万石まつり(→link)】が行われるので、ちょっと考察してみよう。
利家は能登八十万石の大名?
本郷和人・東大史料編纂所教授(日本中世史)が週刊新潮で連載していた『戦国時代のROE』で、2週にわたってこんな謎解きをしていた。
テーマは前田家の石高について。
秀吉からもらったのは「加賀(の半分)」と「能登」&「越中」の3か国なので、そもそも「加賀」全部でない。
これをカウントしてみると、
「加賀半国」20万石
「能登」20万石
「越中」40万石
と、合わせて80万石しかないのである。
しかも、このうち40万石は嫡男・前田利長のものなので、利家本人の領国は40万石しかなかった。
一族全てを合わせても、前田利家は最大で80万石の大名だったのだ。
※以下は前田利家の関連記事となります
前田利家~槍の又左62年の生涯~信長に追放されてもド派手に復活!
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戦国好きならば、おそらくこう仰られるかもしれない。
「前田家は関ヶ原の論功で加賀の残りを追加されて100万石になったんじゃん!」
しかし、本郷教授の分析を読んでいくと、関ヶ原後に追加されたのは大聖寺領と小松領で、その石高はそれぞれ6万石と12万石。
つまり合計は98万石で100万石に届かず。
いやいや、四捨五入で100万石か。
まぁ、よい! これでエエやろ!
否。
話はこれで終わらない。
検地したら軽く100万石を突破じゃん
その後、前田家が検地を実施したところ、思いも寄らない答えになった。
加賀44万石(15.7%増量)
能登21万石(5%増)
越中53万石(32.5%増)
全部を足すといくらになるか?
答えは118万石である。加賀百万石どころか、そこそこ超えてるやないかーい!
それにしても驚きなのは【越中のポテンシャル】である。
地元の方には申し訳ないが、越前と加賀に興味が向き、どうしても地味なイメージがあって、割と豊かな土地だとは気付かなかった。
まさか加賀百万石の中心だったなんて、日頃から石高チェックでもしていない限り気づかないだろう。
話はここでも終わらず、前田家の巧みな操作で「加賀百万石」へと調整される。
富山藩10万石と大聖寺藩7万石が息子たちに分配されたことで、3国118万石から17万石引かれて……加賀101万石になった!
おお! ほぼぴったり!
見事なり「加賀百万石」。
というわけで、歴史的な考察や詳細を知りたい方は『戦国武将の明暗 (新潮新書)』(→amazon)をご覧あれ。
戦国好きなら納得の考察が、非常に読みやすく記されていて、以下は本書の目次である。
1章 戦いは、なぜ起きたのか――関ヶ原考①
2章 直江状に、家康は怒ったか――関ヶ原考②
3章 天下統一とは何か――関ヶ原考③
4章 官兵衛は軍師だったのか
5章 女城主と日本無双の勇将
6章 前田はなぜ100万石なのか
7章 信長・秀吉・家康の夫人くらべ
8章 城と命運をともに――女たちの戦国①
9章 危機一髪の逃避行――女たちの戦国②
10章 厚遇と冷遇の境界線――論功行賞
11章 鳥居対井伊――譜代の争い
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文:川和二十六
【参考】
本郷和人『戦国武将の明暗 (新潮新書)』(→amazon)