清水宗治

清水宗治/wikipediaより引用

毛利家

秀吉の備中高松城水攻めで籠城した清水宗治が武士の鑑と称された理由

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実際は、情報がかなり錯綜していて毛利方でも確信を持つに至れなかった可能性が高そうです。

アヤフヤな情報に乗って家全体の命運をかける余裕はありません。

というのも、実は備中高松城だけでなく毛利全体がピンチに陥っていたのです。

度重なる合戦で毛利家全体が疲弊していたばかりか、制海権を握られて物資の運搬が滞り、これ以上の戦争継続が不可能でした。

そんなときに秀吉から出された条件が決して悪くはない。ならば、渡りに船とばかりに和睦を結ぶほかありません。

ちなみに、毛利が本能寺の変について「織田信長は確かに死んでいる」という確証を得たとき、【中国大返し】を強行していた秀吉はすでに遠く離れた摂津尼崎(180km先)辺りにおり、もはやどうこうできる距離ではなかったと目されています。

 

船上で一差し舞を披露して

さて、いざ切腹となった清水宗治

彼は自分の兄弟や援軍に来ていた将と共に腹を切ったのですが、このときの作法が切腹の基本になったと伝わります。

なんでも「水浸しになった備中高松城から小船で出てきて、その上で一差し舞を披露してから腹を切り、介錯人に首を落とさせた」のだそうで。

潔いばかりではなく、美しく命を差し出した宗治に対し、秀吉は賛辞を惜しまなかったとか。

どのタイミングで言ったのか(そもそも本当に言ったのかも)不明ですが、「宗治の死を見届けるまでは出発できん」とも口にしていたそうです。

さすがに後の武士達は舞うことまではしませんでしたが、「腹を切ってから首を落とす」という点は、武家社会の中でずっと続いていきます。

幕末頃にヨーロッパ人が切腹の場を見物したときも同じやり方だったそうです。

といっても、扇で腹を切るフリをするだけで、実質的には斬首と変わらないということも多かったようですが(なぜなら腹を切るのがあまりに痛いから)。

また、宗治の最期をモデルにしたと思しき表現で歴史から退場したことになっている人物もいます。

他ならぬ本能寺の変の当事者、織田信長です。

織田信長
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だいたいの創作で「信長は敦盛の一節を舞い(あるいは口ずさみ)、何人かの敵を返り討ちにした後、自ら本能寺の奥に入って腹を切った」としていますよね。

シチュエーションこそ違えど、宗治とイメージがかぶりませんか?

誰がこの表現を始めたのかはわかりませんが、おそらく「これカッコええな。信長にピッタリじゃん」って思った人が書いたのでしょう。

 

超絶かっこいい辞世の句、実は……

宗治の辞世の句がまた、超然とした心境を良く表しています。

浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して

個人的には、訳すのが無粋に感じるほどの名歌だと思います。

死や滅びに美学を見出すのは日本人特有の感覚といわれますが、『宗治って無駄死では?』と思う人も、こういった潔さを知ったら、また違う感想を抱くのではないでしょうか。

と、エエ話で終わりたかったのですが……。

実はこの歌、長州藩士の清水家が、自身の家を誇るため後世に作った可能性が高いようです。

清水宗治の首塚

まぁ、いずれにせよ彼が城兵の命を救い、毛利家を危機から脱出させたのは間違いありません。

備中高松城の本丸があった場所には現在、清水宗治の首塚が設置され、今なお多くの方に供養されているとのことです。

秀吉は、この後、10日間で230kmもの移動を達成し(中国大返し)、そして【山崎の戦い】で明智光秀を倒し、天下への道を駆け上がります。

よろしければ以下の記事も併せてご覧ください。

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長月 七紀・記

【参考】
滝沢弘康『秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇 (SB新書)』(→amazon
堀新/井上泰至『秀吉の虚像と実像』(→amazon
清水宗治/wikipedia

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