絵・小久ヒロ

織田家

【織田家臣団十傑の一人】中川重政は所領争いが原因で表舞台から消え去った?

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
中川重政
をクリックお願いします。

 

戦国時代だって、金銭トラブルは危険です

比叡山焼き討ちにより、丹羽長秀と重政に御料所舟木荘が与えられました。

宗教的な意味がある土地であり、ただの加増ではありません。

ともかく収益の高いおいしい加増だったのです。

それは丹羽長秀という、信長に重宝された家臣と共に与えられていることから、中川重政への期待の高さもご理解いただけるでしょう。

しかしそれだけで済まされないのが、辛いところです。

元亀3年(1572年)、重政と柴田勝家の間に、長命寺の中間銭を巡り争いが起きていたことが確認できます。

柴田勝家
当初は信長と敵対していた柴田勝家 秀吉に敗れるまでの生涯62年まとめ

続きを見る

この小競り合いが、徹底的な決裂を引き起こします。

同年8月、重政の実弟・津田隼人正が、勝家の代官を斬殺してしまったのです。

同一件で非を咎められた兄弟は、揃って改易となり、重政は剃髪して土玄と名乗りました。

以降、彼の名は、信長周辺の記録から消え去ります。

かなり時が進んで天正7年(1579年)、茶会に参加した記録はありますが、かつてのように合戦や内政でその名を連ねることはありませんでした。

本能寺の変後は織田信雄に仕え、小牧・長久手の戦いでは犬山城の守備で池田恒興に攻略され、その後は、史料に名を見せなくなるのです。

小牧・長久手の戦い
豊臣vs徳川の総力戦「小牧・長久手の戦い」複雑な戦況をスッキリ解説

続きを見る

 

利家の婿は重政の子

では、中川家はそこで滅びてしまったのか?

というと、そうではありません。

前田利家の婿である中川光重は、重政の子とされています。

数多の一族が戦国史に登場しては消え去っていく中。

加賀藩に仕えたとなれば、はるかに恵まれているように思えます。

ただし、信長が飛躍していった時期の織田家トップ10に入っていた中川重政が、土地争いを発端にフェードアウトしてしまったことは確か。

討死でもなければ、出奔でもない。金銭トラブルで干されてしまった。

なんとも悲しい運命の一人といえましょう。

あわせて読みたい関連記事

佐々成政
信長の側近から秀吉の反逆者へ! 佐々成政の悲運な生涯53年まとめ

続きを見る

前田利家
槍の又左こと前田利家 史実の人物像に迫る!加賀百万石62年の生涯

続きを見る

比叡山焼き討ち~なぜ信長は攻め込んだ? 数千人の虐殺&大炎上は誇張あり?

続きを見る

明智光秀
明智光秀の史実を振り返る!麒麟がくるとは何が違ったか?55年の生涯まとめ

続きを見る

柴田勝家
当初は信長と敵対していた柴田勝家 秀吉に敗れるまでの生涯62年まとめ

続きを見る

小牧・長久手の戦い
豊臣vs徳川の総力戦「小牧・長久手の戦い」複雑な戦況をスッキリ解説

続きを見る

丹羽長秀
丹羽長秀は信長に最も信頼された織田家重臣の一人 その生涯65年まとめ

続きを見る

滝川一益
信長家臣で最強のオールラウンダー滝川一益! 62年の波乱万丈な生涯

続きを見る

織田信雄
愚将とされた織田信雄(信長の次男)は本当にダメ武将? その血筋は現代へ

続きを見る

蜂屋頼隆
信長親衛隊・黒母衣衆から大名へ!蜂屋頼隆は秀吉にも重用されたが

続きを見る

森可成
信長お気に入りの重臣・森可成~蘭丸や長可の父はどんな武将だった?

続きを見る

豊臣秀吉
豊臣秀吉 数々の伝説はドコまで本当か? 62年の生涯まとめ【年表付き】

続きを見る

佐久間信盛
佐久間信盛(織田家の重臣)はなぜ信長に追放された?退き佐久間その最期

続きを見る

本能寺の変
本能寺の変で光秀はなぜ信長を裏切ったか 諸説検証で浮かぶ有力説は?

続きを見る

テンプル騎士団のムゴい最期~カネと権力欲するフィリップ四世が潰して自滅

続きを見る

ヘンリー8世が離婚再婚離婚再婚でぐだぐだイングランド【宗教改革500年】

続きを見る

新門辰五郎
偉大なる親分・新門辰五郎~慶喜に愛された火消しと娘・芳の爽快な生涯

続きを見る

文:小檜山青

【参考文献】
織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)』(→amazon
『戦国人名事典(新人物往来社)』(→amazon
『戦国時代人物事典(学習研究社)』(→amazon
国史大辞典

TOPページへ

 



-織田家