元亀二年(1571年)3月4日は、織田信長が東福寺で茶会を開いた日。
信長は、戦国武将の中でも特に茶道や茶器を重んじた――として知られ、大河ドラマ『麒麟がくる』でも重要シーンとして描かれましたが、実際のところどれほどのマニアだったのか。
本稿では信長の茶器をマトメてみました。
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領地の代わりに茶器を褒美に
信長と茶の関係は、他の大名と比べて特徴的なことがいくつかあります。
それは、お茶というより茶器との逸話が多いことです。
一番有名なのは、領地の代わりに部下へ茶器をあげたことですよね。
信長は「銘器狩り」といわれるくらい良い茶器を漁っていた時期があるのですが、それと同じくらいのペースで部下への褒美として茶器を与えています。
信長が誰かにもらった茶器の一覧はこちらです。
【信長が所有したことのある茶器】
豪華絢爛に並ぶ名物の数々。
今井宗久なんかは、まさに『麒麟がくる』でも茶に長けた商人として登場しておりましたね。
※以下は今井宗久の関連記事となります
信長に重宝された堺の大商人・今井宗久~秀吉時代も茶頭として活躍したその生涯
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松永久秀は後述するとして、上記名物のうち、例えば白天目茶碗などは、文化遺産オンラインでご覧いただけます。
家督を譲った信忠には初花肩衝など超一級品も
上記の茶器は『信長公記』を中心に抜粋。
相手と名前がわかるものだけでもこんなにあります。
茶器に限らず、絵などの芸術品を含めた「名物」全体となれば、その数は計り知れません。
献上させたものがほとんどですが、代わりに金銀を払ったケースが多いので、どちらかというと「買い取った」というほうが正しいですかね。
まぁ、権力者・信長に対して「差し上げますので命だけはご勘弁を!(gkbr」って感じだったかもしれませんし、金銀が送られてきたら逆にビビったかもしれません。
朝倉家からぶんd……回収した本能寺文琳のように、滅ぼした相手の持ち物を信長が所有していたこともあります。
実利主義の信長らしいというかなんというか。
茶器だけじゃなく【長篠の戦い】で武田勝頼の名馬を獲得していたことも信長公記に記載されていたりします。
今回はさらに、誰にどの茶器を与えたのかもまとめてみました。
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