戦国時代にこのうち“二つ”を兼ね備えた人がいました。
天正十三年(1585年)9月11日に亡くなった立花道雪です。
西の最強武将として知られる立花宗茂の義理のお父さん。
道雪の娘・立花誾千代に婿入りして名字が変わっています。
夫婦の話は以下の記事にお譲りして、今回は道雪を見て参りましょう。
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なお、道雪は何度も名前を変えていますが、最も有名な「道雪」表記で統一させていただきます。
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愛刀「千鳥」で雷神を退治して半身不随に
道雪は若い頃、「千鳥」という愛刀で雷を斬って、その中にいた雷神を退治したといいます。
その代償として半身不随という大きな障害を負ってしまうことになりました。
時期は元服直後の頃と目されています。
まぁ、雷に打たれただけ?と考えればそれまでなんですが、戦場に出る武士としては実に痛いところです。
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ただし、道雪は「雷に撃たれた親父」というだけではありませんでした。
半身不随になった後も、輿に乗って出陣していたのです。
しかも輿の中には鉄砲と刀を用意して、自ら敵陣に乗り込んでいくという豪傑ぶり。やる気満々です。
輿を担ぐ者達には棒で合図を送りながら、隊列が乱れると容赦なく殴りつけたとも言われています。
それでも部下に愛想を尽かされたとか裏切られたとかいう話が伝わっていないので、愛のムチ(棒だけど)だと思われていたんでしょうね。
実は、道雪と部下とのエピソードは実に心温まるものばかりです。
弱い兵がいてもオレの責任っちゃね!
道雪のモットーは「勇将の下に弱卒無し」。
「大将が強ければその下にいる兵士が弱いはずがない」という意味で、道雪は「オレが強いんだからお前らが弱いわけはない」と天狗になっていたわけではありませんでした。
逆に「もし弱い兵がいたとしたら、それは上にいる将の責任だから、兵士自身は気にしなくて良い」と考えだったようです。
これが根底にあったからか。道雪は部下にとても優しく接していたという話がたくさん伝わっています。
「私は道雪様のお役に立てていなくて申し訳ないです」
「いやいや、お前が頑張ろうとしてるのは知ってるから、気にすんな!それより焦って突っ込んで無駄死にするなよ!お前達がいないとオレはこの通り、戦に出られないしなHAHAHAHA」
部下の働きを見ててくれる上司とか、なんなんでしょう、この絶滅危惧種は。
ただし、道雪は規律にとても厳しい人でもあったそうです。
とある年の年末、蒲池氏という大名と戦をしていて陣地で年を越すことになりました。年末年始も仕事というのは戦国時代から珍しい話ではなかったんですね。
ですが、このとき道雪に無断で家へ帰ってしまった部下が数名。
人情に厚い道雪は「正月だから仕方ない」と許すかと思えば取った行動は真逆そのものでした。
「勝手に帰るようなヤツはオレの部下じゃねえ!親ごと殺してこい!!」
「えええ!? 本人はともかく、親はいいんじゃないですか?」
「うるせえ! 規律を破った息子を匿うような親は同罪だ!」
雷親父ってレベルじゃござーせん。
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