京極高次

絵・小久ヒロ

戦国諸家

近江の戦国武将・京極高次が「蛍大名」と呼ばれた理由とその生涯

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家康と三成から協力を要請されて

陰口や不名誉なことを囁かれながらも、高次は真面目に働き続けました。

関ヶ原の戦いでは、徳川家康石田三成両方から声をかけられていますので、少なくともただの蛍でないということは間違いないでしょう。

どっちつかずだったと見ることもできますが、彼はその立場を存分に生かして動きます。

まず最初に、家康から「ちょっと上杉んとこ行ってくるから、大津城(現・滋賀県大津市)の守りをお願いしますね」(超訳)と声をかけられました。

ボケッとしているわけにもいきませんし、京極家として家康とのコネは保っておかないとマズそうだと判断します。

そこで弟と家臣を家康に同行させ、体面を保ちました。

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が、ここで馴染みの武将を通じて三成から「徳川を始末するんでこっちについてくださいよ!アナタ太閤殿下に恩がありまくるでしょ!」(超訳)という要請が来ます。

もし三成につかないとなると、高次は大津城で西軍全てを相手に一人で頑張らなくてはいけません。

この城は大阪から京都を通って関東方面に向かう途中に位置しており、さほど規模が大きくはなく、また兵数も多くはありません。仮に籠城しても強く粘れる拠点ではない。

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そこで高次は「まともに戦っても勝てなさそうだけど、三成が負けそうだし完全に味方するのもアレだな。よし息子を人質出して時間稼ごう」(超訳)という結論を出しました。

現代の感覚だと、人質=いかにも外道なことのように思えますが、当時はごくごく普通の外交手段の一つ。高次が特別冷たかったというわけではありません。

かくして「わかったよ三成さんにつきますよ」という態度をとりつつ、高次は篭城の備えをしながらこっそり上方の動向を家康に報告していました。

もし高次が本当に”蛍”だったら、この辺の腹芸はできなかったでしょう。

そしていよいよ西軍が出発し……。

 

最初は西軍についたふりして琵琶湖畔で籠城

高次は、途中まで西軍に同行したものの、一人大急ぎで大津城へ帰ります。

そして帰城翌日には兵と兵糧を集め、井伊直政へ一報入れます。

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「私は大津城で西軍を引き受けますので、家康殿によろしくお伝えください」

西軍の先発部隊と後続部隊をぶった切った形になるわけですね。

これも戦国武将としての観点がなければできないことです。高次△。

当然、西軍にバレて、兵がバーゲン会場のごとく押し寄せました。しかも、率いているのは総大将・毛利輝元の叔父元康や、「剛勇鎮西一」と称された立花宗茂です。

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高次も頑張りました。

が、兵数だけでも5倍はある上、西軍が大砲まで使ったのであえなく降伏することになります。

その降伏した日というのが旧暦の9月15日。

関ヶ原の決戦当日です。

 

大事な後半生は自分の力で生き延びている

戦には負けたものの、高次が狙っていた「西軍の戦力削減」という目的は立派に達成。

特に立花宗茂を足止めしたことは家康に大きく評価されました。

高次は敗戦の責任を取って一度高野山で出家しているのですが、大名への復帰を許した上、大幅な加増もされています。

同行させた弟も本戦で武功を挙げていたので、京極家全体の扱いも良くなりました。

その後は移封先の小浜で城を築き市街整備をするなど、良い殿様をやっていたようです。ちょっと前に「オバマ大統領を勝手に応援する会」で話題になった福井県小浜市ですね。

ただ、残念ながら、城の完成前に高次が亡くなり、京極家自体も移封されてしまったので、高次がどんな街にしたかったのかはよくわからなくなってしまっています。

こうしてみると、躍進のキッカケは、確かに女性のおかげと言えなくもないですが、大事な後半生は自分の力で生き延びたことがわかります。

京極家自体も明治時代まで存続していますしね。

名門ゆえか、どちらかというと武功や謀略で生き延びたというよりも、公家のような粘り強さを持っていた感じがします。

むしろ、くだらないレッテルを貼られてもムキになって言い返したりせず、黙ってやるべきことをきちんとやっていたと捉えれば、現代人が手本にできるところも多い人といえそうです。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
谷口克広『織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)』(→amazon
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
京極高次/wikipedia

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