父の斎藤義龍/wikipediaより引用

斎藤家

斎藤義龍(斎藤高政)はなぜ父の道三を殺した?マムシの息子33年の生涯

信長の前半生において、大きなヤマ場だった美濃攻略。

立ちはだかったのは斎藤義龍です(大河ドラマ『麒麟がくる』では斎藤高政)。

本来美濃は、織田信長の舅である斎藤道三が治めており、信長には友好的でしたが、道三の隠居に伴う代替わりで混乱が起き、道三の長男・義龍が、その座を強引に奪い取ったのです。

しかも、その過程で道三を死に追いやる――という武田信玄もビックリな展開。

そのせいでもしかしたら義龍については悪い印象をお持ちの方も多いかもしれません。なんせ「父殺し」ですからね。

しかし、ことはそう単純でもありません。

いったい斎藤義龍とはどんな人物だったのか?

史実に基づいて、その生涯を追ってみましょう。

 

斎藤義龍(高政)の母は頼芸から道三に譲られ

斎藤義龍は大永七年(1527年)、斎藤道三と深芳野(みよしの)の間に生まれました。

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この深芳野が、なかなか厄介な存在でして、元々は、土岐頼芸(とき よりあき)の側室だった女性であります。

土岐頼芸は、斎藤道三の主君。つまり彼女は、上司から部下へと譲られたんですね。

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女性をモノ扱いするみたいで眉をひそめる方もおられるかもしれませんが、当時の価値観ですのでいったん脇へ置いておき、先へと進みましょう。

ともかくここで大事なことは、この斎藤義龍が、他にいた道三の子供たちとは【異母兄弟】だったということです。

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【戦国時代+武家+異母兄弟】となると、もうトラブルの予感しかしませんね。

実は弟たちと同母兄弟の可能性もありますが、現時点では不確定ですので、本稿では、異母兄弟と仮定して話を進めましょう。

 

頼芸・父親説は江戸時代末期のお話

斎藤義龍の幼少期は、例によってナゾです。

天文五年(1536年)に元服を済ませ、「新九郎」と名乗るようになったとされますが、その他はほぼ不明。

元服時の年齢が10才になりますので、一人前の武将として、あるいは道三の後継ぎとして、現場で働くようになるのはもっと後でしょう。

話題になるのは、もっぱら成長後のこと。真っ先に浮かんでくるエピソードがコチラです。

①母・深芳野は、頼芸の子供を身ごもった状態で道三に嫁いだ

②だから義龍は、本当は道三の子でなく、頼芸の子である

③義龍本人がそれを知ったため、父の敵討ちとして道三に背いた

実はこちらのお話、江戸時代末期になって流布されたもので、内容はかなり怪しいです。

当時の義龍は「道三の庶長子(側室の息子で長男)」という立ち位置であり、それ以上でも以下でもなかったでしょう。

天文十七年(1548年)、道三が稲葉山城から鷺山城へ移り、この時点で道三が隠居すると、ここから義龍の動きがはっきりわかるようになってきます。

おそらくや義龍に家督を譲ったからであります。

ただし「道三は隠居していない」とする説もあり、少なくとも実権は手放していないため、二重政権に近い状況ともいえます。

話がキナ臭くなってくるのは、このあたりからのことでした。

 

なぜ親子は対立したのか?

キナ臭い、とは他でもありません。

道三が義龍のことを
「あいつはダメだ。弟たちのほうがまだマシ」
と冷遇するようになった……というのです。

後に義龍が父の道三を死に追いやる――そう考えると十分に納得できる話ですが、道三と義龍が対立するようになった決定的な証拠もありません。

わかる範疇で、当時の状況を振り返ってみましょう。

義龍には数人の弟がおり、ほとんどが生年不明でした。

末弟の利治が1541年生まれという説があるので、その間の弟は、義龍本人が生まれた翌1528年~1541年の間の生まれになりますね。

また、道三の次男・孫四郎と、三男・喜平次の母親は、道三の正室・小見の方という説があります。

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彼女が道三に嫁いだのが天文元年(1532年)ですので、小見の方が母親ならば、孫四郎は早くて1533年生まれ、喜平次はその後になります。

要は、1527年かつ側室生まれの義龍は【年長だ】という武器しかなかったのです。

どこの家でも、大義名分や血筋は非常に重要。側室生まれの息子よりも、正室生まれの息子に跡を継がせたがります。

当時の価値観を考えれば致し方ないことであり、義龍としても歯がゆかったでしょう。

実際、織田信長も長男ではありません。

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異母兄の織田信広がおりました。

が、織田家の家督は正室生まれの信長に譲られました。

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つまり、義龍以外の跡取りが誕生しても何ら不思議はなかったのです。
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