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【昌幸の晩年はうつ病の気配濃厚】
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『40両持って来い』が『5両でも10両でもいいから』
粗末とはいえ、九度山での生活には家臣が16名付き、和歌山藩より50石の扶持も支給、さらには長男・信之も仕送りしていたとのことです。
お金はない。
しかし本当にドン底でもない。
それでもやっぱり金銭的には厳しかったようで、昌幸が信之に対して『お金ちょうだい』と送った手紙が残ってます。
しかも10年で20通ほど。
お金に関してはこんな逸話も残されております。
あるとき昌幸が『40両持ってこい』と手紙を送ったところ、四男が20両ほど持って九度山にやってきました。
これに対して昌幸は「こちらは借金が多くて困っている。早く残りの20両も送ってほしい。無理だったら5両でも10両でもいいから!」と答えており……えぇと、なんだか悲しくなってしまいますね。
実は昌幸は、最初の頃は信之を通して赦免運動を申し出ておりました。
しかし、それが無理だと悟ると目に見えて元気が無くなり、かなり落ち込んでいった様子が想像されます。
寒暖の差が激しいこともストレスの一因となりますしね。
特に、晩年は病気がちだったようで、彼の手紙には『生活はあんまり変わりはないけれど、ただこの1年はすっかり年老いて気力も枯れちゃったよ』みたいな記述と共に、何度も『大草臥(おおくたびれ)』という言葉を繰り返しており、「鬱」を思わせるような状態でした。
昇進や結婚、出産などもキッカケに
徳川軍を2度にわたって翻弄した名将でも、うつ病になってしまうの?
精神的にもタフであったであろう戦国武将と、この病気は、確かになかなか結びつきません。
しかし、実は生涯有病率は3〜16%あり、日本人では10〜20人に1人はかかる、ありふれた病気なのです。
そしてその症状はかなり多彩なため、簡潔にまとめるのは難しいのですが、
『落ち込んだ気持ちがずっと続き、日常生活を送ることに支障をきたす病気』
と考えて下さい。
うつ病の原因はハッキリしておりません。
ノルアドレナリン、セロトニンなどの神経伝達物質の低下によって起こるというモノアミン仮説や【神経の損傷】など。
様々な説があり、実質的にはストレスや身体的な病気、環境の変化など、様々な要因が重なって発症すると考えられています。
特に多いのは、人間関係の変化と環境の変化です。
たとえば身近な人の死やリストラなどの悲しい出来事は直接的なトリガーとなります。
意外かもしれませんが、昇進や結婚、出産といっためでたい出来事がキッカケでなる場合もある他、慢性の病気や貧困、社会的孤立も発症に関わります。
上杉・徳川・北条を手玉に取った上田の名将から、貧乏かつ極寒の地へ流配なれば、同病になっても全く不思議ではありません。
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