小牧山城

信長公記

小牧山城移転に見る信長の知恵~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第42話

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信玄や謙信にも真似できなかった信長最大の特徴とは?

色々とご意見はあれど、それは
【本拠地の移転】
ではないでしょうか。

織田信長は生涯にわたり、幾度か本拠地を移動させています。
一方、武田信玄は躑躅ヶ崎館、上杉謙信は春日山城から動くことはなかった。

戦国大名の支配地は、基本的に中心になればなるほど支配力の高まるピラミッド式であるのに対し、織田信長はその都度、戦略的に重要エリアを変えるアメーバ式だったのですね。

しかし、これを実践するのはかなり難易度が高いもので。
敵に警戒心を抱かせるだけでなく、それまでの支配地域が揺らぎかねず、一歩間違えれば多くの家臣団たちに不平不満を抱かせ、裏切りのキッカケにもなりかねません。

そこを信長はどうクリアしたのか?
特徴的なエピソードが『信長公記』に記されております。

第42話は「小牧山城への移転」を見てみましょう。

 

二宮山へ引っ越し…… あっ、やっぱり小牧山へ

ある日、信長は、突然
「清洲から二宮山(犬山市)に移転する」
と言い出しました。

当主の信長が引っ越しをする以上、織田家全体が移動せねばなりません。
そのため、誰がどこに住むかという土地の割り振りも始まります。

しかし、土地が豊かで町並みも整っていた清洲と、文字通り“山”の二宮山では、生活スタイルが変わりすぎます。
そのうえ荷物を運ぶにも不便だったので、家臣たちは上から下まで皆迷惑がりました。

とはいえ命令をガン無視するわけにもいかず……徐々に溜まっていく家臣たちのストレス。

すると信長は、その後間もなく
「移転先は小牧山(小牧市)にする」
として前言を撤回します。

普通は引越し先がコロコロ変わったら大迷惑です。
が、小牧山は麓まで川が流れているため、船を使って荷物を運ぶことができ、織田家の家臣たちは「二宮山よりは引っ越しやすい」と喜びながら支度を急ぎ始めました。

 

なぜ信長は、わざわざ小牧山城へ移ったのか?

この状況を受けて、著者の太田牛一はかように記しております。

【最初から「小牧山に移転する」と信長が言っていたら、移転そのものが反対されていただろう】

つまり、最初に信長が提案した二宮山には、ハナから行く気などなかったのですね。
わざと条件の悪い候補地をはじめに提示し、次にそれよりも好条件な場所を挙げることにより、より家臣がスムーズに移動できるように仕向けたのです。

単純ながら非常に効果的な手段ではないでしょうか。

しかし大きな問題は別にあります。
なぜ信長は、わざわざ小牧山城へ移ったのか?

清洲は街としての完成度も高く、かなり潤っていた土地でもありました。
そこを離れてまで移動せねばならない目的とは?

答えは【犬山城攻め】のためでした。

 

敵拠点への移動距離が半分近くに短縮された

犬山城を攻めるために、なぜ清州城から小牧山城へ移転せねばならないのか?

それを理解するには、両城の位置関係を見たほうが早いでしょう。

まずは清洲と犬山。
従来の本拠地だった清洲から、直接、犬山へ行こうとすると25kmほどの道のりです。

※現代の道路での話ですが、だいたいの目安として考えていただければ

徒歩であれば早足で6~7時間ほど(時速4キロ程で計算)。
一刻も早く片付けたい身内相手の戦にしては、時間がかかりすぎます。

※黄色が清州城で、赤色が犬山城

一方、小牧山から犬山へ出陣する場合、道のりはおよそ13kmで移動時間は3~4時間です。
40%以上も時間を節約できることになりますね。

※黄色(下)=清州城、紫色(中)=小牧山城、赤色(上)=犬山城

移動距離の短縮に加え、実はメリットはもう一つありました。
小牧山城からは、前回41話の合戦舞台となった於久地城(小口城)を見下ろすことができたのです。

於久地城の戦いに忍者の血筋登場?戦国初心者にも超わかる『信長公記』第41話

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戦わずして敵は撤退!

戦では高所の確保が大きな勝因になります。

相手が何をしているのか。
どんな物があるのか。
どれぐらいの兵力がいるか。

重要な情報が明るみになりやすいからです。

当然、敵の城方もそれは十二分に理解しておりまして。
於久地城の人々は小牧山に城が作られ始めたのに気付くと、信長方へ城を明け渡し、犬山城へ移ったのです。

単純に見れば犬山城の兵数が増えたことになりますが、信長にとっては攻略拠点が一つ手に入っているためプラス効果の方が大きかったと言えるでしょう。
戦の回数が減れば、それだけ味方や物資の損耗も減らせますからね。

小牧山への移転は、味方を気分良く移転させ、戦を減らし、最終的には斎藤氏との決戦までにかかる時間の短縮にも繋がりました。

戦わずして勝つ――戦略としてはこの上もなく鮮やかといえるでしょう。

長月 七紀・記

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link

 



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