今回は、織田信長の個性的な経済政策について。
「楽市楽座」で知られる信長は、経済感覚に優れていた一面があり、人・モノの流通を円滑にする政策を他にも実行しておりました。
それが関所の撤廃です。
関所のメリット・デメリット
足利義昭の上洛を成功させた後、永禄十一年(1568年)に信長は
「天下のため」
として、自領内の関所を撤廃しました。
これは大きな賭けとも言えます。
というのも【関所の設置】は数々のメリットがあったからです。
【関所のメリット】
犯罪者の追跡
他国のスパイ防止
関税による大名や地元国人の収入
単純に収入があるだけでなく、国防上の観点からも実施した方が安全だったんですね。しかし……。
その一方で関所には、
物流や人の往来が滞る
というデメリットもありました。
「逆に利用してやろう」と思っていた?
祖父の代から経済感覚に優れた家で育った信長のこと。
「関税なんかでチマチマ稼ぐより、もっと大々的に商売をさせて町ごと潤したほうがいい」
と考えたのでしょう。
既に上洛直後の京都の治安維持に成功していましたし、
「自分の領地くらい、関所なんぞ置かなくても、自分の兵で取り締まれる」
という自負もあったかもしれません。
もう一つの懸念であるスパイについては、むしろ逆に利用してやろうという気でいた感があります。
当時、僧侶や山伏などの聖職者は、比較的他国との往来がしやすい身分でした。
本業である仏事などのために旅をすることもありましたが、大名同士の連絡役だったり、あるいは密命を帯びてスパイ役を担うことも。
また、この連載の33~34話で述べた通り、旅の僧侶が地元の大名に会った時、他国の事情を聞かれるというケースもありました。
あの信玄が信長について質問だと!?~戦国初心者にも超わかる信長公記33話
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上記のような件を信長が逐一把握していたとは考えにくいものの、「そういうこともありうる」という理解はしていたでしょう。
「戦わずして勝つ」
となれば、情報漏洩などの懸念よりも、
「ウチはこんなことをやって豊かで強い家になっているんだぞ! お前らと戦をやっても余裕で勝てるわ!」
と宣伝・威圧するのに使えるわけです。
「戦わずして勝つ」戦略ともいえますね。
なんといっても合戦は国にとって大きな負担です。
選択肢としては最悪の一手であり、それを避けることができれば、人やモノ、お金を他のことに使えますし、自領内や朝廷からの人気も勝ち取れます。
また、関所の廃止によって国人の収入源を絶つことで、謀反を起こしにくくするというメリットもありました。
いずれにせよ、当時の信長の領地が既に東海道上にあり、関所の廃止さえすれば、物流や人の往来がかなり活発化し、結果として自分が豊かになる……ということを理解した上での施策だったと思われます。
こうした政策に注目しますと、いかにも
「信長が天才だから」
と思ってしまいがちです。
が、それはいささか偏った見方であり、他の戦国大名も物流・経済活性化のために様々な施策を行っています。
今回は、後北条氏と武田氏から二つほど事例をご紹介しておきましょう。
北条氏の経済政策
北条氏綱(後北条氏二代目・北条早雲の息子)が、伝馬制を用いて経済の活発化を狙いました。
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現代でいえば、道路整備と運送業者を整備したような感じですかね。
伝馬制とは、元々朝廷の役人などが地方へ赴く際の交通機関です。
要所に乗り換え用の馬を用意した「駅」を用意しておき、次の地点まで馬を乗り継いでいくというものです。
似た制度に「駅伝制」というものもあり、「駅」や「駅伝」の語源ともなっています。
どちらも陸路が中心だった9世紀頃までよく使われていたのですが、時代が下って船が併用されるようになったため一時廃れています。
時代が下り、北条氏綱などの戦国大名が、伝馬制の便利さ・流通統制のしやすさに着目して、用いるようになりました。
やがて駅は問屋や商人が集まるようになり、商業地や問屋街として発展していきます。
現代にも各地にある「伝馬町」という地名は、伝馬制の駅から発展した場所であることを示すものです。
武田氏の経済政策
武田信玄も、様々な経済政策を行っておりました。
というのも、甲斐武田領は大部分が山間部であり、経済に欠かせない川や海を用いた水運が使いにくかったことから、他の政策でカバーしようとしたのです。
領内から産出する金を貨幣化したり、領内での度量衡を統一したり。
甲府に商人・職人を集めて特権を与え、経済活動を促進するなど、信玄の苦心がうかがえます。
後北条氏同様、伝馬制も取り入れていました。
戦国大名というと、やはり戦のイメージが強いものですが、こうした経営上の感覚に優れているかどうか、というのも大事なポイントです。
お金や人がないと、戦も農業も商業もできません。
疎かにしていると結果として自分の首を絞める事になります。
そこがわかっているかどうかで、領国経営や戦の得手不得手が決まり、ひいては後世での知名度や評価が変わってくるのですね。
長月 七紀・記
※信長の生涯を一気にお読みになりたい方は以下のリンク先をご覧ください。
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
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なお、信長公記をはじめから読みたい方は以下のリンク先へ。
◆信長公記
大河ドラマ『麒麟がくる』に関連する武将たちの記事は、以下のリンク先から検索できますので、よろしければご覧ください。
麒麟がくるのキャスト最新一覧【8/15更新】武将伝や合戦イベント解説付き
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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link)
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link)
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link)
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link)
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link)
『戦国武将合戦事典』(→amazon link)