天守(望楼型と層塔型)

城の天守はいつから作られた?城主のこだわり反映する望楼型と層塔型

お城と言えば、中心にそびえ立つ美麗荘厳なる天守が圧倒的!

では「天守閣」とは一体何が違うのか?

というと幕末以降に使われるようになった用語で、それまでは「天守」と呼んでおりました。

要は、さほどに違いはない。

「スパゲッティ」を「パスタ」と言い換えてイラッとさせたり、「Gパン」と言っている人に「デニムでしょ」と言って『一緒だろが!』と相手を無駄にキレさせるかもしれませんので、このウンチク披露には注意が必要です。

以前、の記事でも少し天守に触れましたように、矢倉を高くしていく過程で何となく格好良くおさまったものが

・天主
・殿主
・殿守
・天守

であり、すべて読みは「てんしゅ」です。

名称の由来は諸説あります。

【城主=殿が住んだ→殿を守る場所】であったり、【天主教=キリスト教の祭壇を置いた】とか、【天主=四天王の毘沙門天を祀った】など様々。

イマイチよく分かっていませんが、いずれにしろ城の精神的支柱であり、総司令部であり、最後の砦であったというのは間違いないでしょう。

※以下は「櫓」の記事となります

櫓
櫓(やぐら)を知ると俄然お城が楽しくなる! 由来と役割さっくり学ぼう

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大きく分けて2種類【望楼型と層塔型】

天守の分類には望楼型と層塔型の大きく分けて2種類の型があります。

初期プロトタイプは「矢倉の屋根の上に物見用の望楼を乗せた」というメゾネットタイプのものでした。

それから次第に

「もう1階増やせんじゃね?」

「2階の間取りを広く取りたいから2階まで矢倉にして3階を望楼にしたい。金ならあるゾ」

「望楼も広くしたいんだよ、俺は。あとできるだけ高くお願いね。無理? 無理を通すのが職人の腕の見せ所じゃねえか」

「望楼だけど望楼っぽくしたくないのよ。なんかその物見櫓感?それが嫌なのよ。分かるかなー」

「他人と同じじゃ面白くないじゃないですか。もう少し南蛮色強めにしたいんすよ。いやいや、別に切支丹じゃねえし。とにかく目立ちたいんすよ」

といった城主の無茶な注文をカタチにしたのが望楼型の天守です。

では、層塔型は?

「望楼型とか、もういい加減にしろ! 人手がいくらあっても足らねえ。こうなったら、全部まとめてやってやるよ。これでもくらえ!」

と言わんばかりに、ある程度、定型に沿った【建売住宅】のようなものが層塔型の天守です。

層塔型は屋根の自由度が高いので、その造りに城主の個性が発揮される。

それが大きな特徴でしょう。

 


以前は金閣寺や銀閣寺が天守の原型という説もあった

望楼型と層塔型。

どちらが先とか東西で違うとかそういうのはありません。

初期の天守には望楼型が多い一方で、後期でもノスタルジーに駆られた城主が「俺がやっとこさ城持ちになったときのあの城(=掛川城・望楼型)を再現してえ!」(by山内一豊)の高知城みたいな例もあります。

なかなか見分けるのが難しいのですが、三角屋根の平屋(入母屋造と言います)の屋根に櫓を積み上げていったのが望楼型で、1階部分から箱を大きい順番に積み上げていったものが層塔型と考えればよろしいでしょうか。

ちなみに以前は「金閣寺や銀閣寺が天守の原型」という説もあったそうです。

確かに似ていはいますが、そもそも梁を縦横の井型に組んで行く天守と、梁を横だけ組んで進める寺社建築は全く違います。

この辺の違いからも天守は、プロトタイプ矢座(両国国技館前のあいつ)である「井楼」の流れを汲んでいることが分かって面白いですね。

 

では、ここからは個別に望楼型と層塔型を見て行きましょう。

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