最近うちの近所で下水道の工事をやっているのですが、あまりにも工事期間が長い。
『きっと下水道工事なんて嘘だ。これは秘密の地下通路を作っているに違いない。俺、エヴァンゲリオンとかで見たことあるもん!』
ということで、工事の人にそれとなく話を聞いてみましたら、意外にも気さくでいろいろと教えてくれました。
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現代に通じる土竜(もぐら)戦法か!
下水道工事は、道路のトンネルを掘るように、下水管を通す横穴をドリルの機械で掘り進めます。
これが結構な難工事で1日数mしか進まないとか。
「いやー、大変な工事ですね」
「(工事が)長くかかりましてね。こっちには単身赴任ですよ(笑)」
「え?地元の会社じゃないんですか?」
「山梨から来てます」
『はっ!』
ここで私はピンッ!ときました。
穴掘りの技術を持った山梨の会社……。つまりは金堀りの技術を持った甲府の戦国武将……そう、それは土竜(もぐら)戦法の武田信玄じゃないですか!
*土竜戦法:鉱山の金堀りの技術を持った金堀衆を使い、城の地下に穴を掘って土台を崩したり、内側に侵入する攻城戦術の一つ
「すごいですね! 信玄公の時代から脈々と技術を受け継いでるんですね!」
「……」
まあ、ポカーンとされました。いつものことなんで気にしないですけどね。
ということで今回からお城のパーツについてご説明させていただきたいと思います。
今回は「櫓(やぐら)」のお話です。
そもそも天守閣は櫓から発展している
おいおい、お城野郎さん。
どうせなら天守閣からやっちゃえよ。出し惜しみかい?
と思われるかもしれませんが、天守閣自体がそもそもが櫓から発展した最終形態であることを考えると、天守閣を語る前に、まずは櫓のウンチクを「ちょいモテ」レベルまでにしておきましょうというお話です。
たとえば、皆さまの「櫓」のイメージはこんな感じでしょうか。
櫓の機能は主に2つあります。
武器や食料を格納する倉庫、そして弓や鉄砲を射かける為の足場・物見台としての「櫓」です。
櫓を「矢倉」とか「矢蔵」とも書いていたように倉庫としての「櫓」は「日本書紀」にも記述が見られるほど歴史は古いです。
ちなみに戦闘機能としての櫓は場所を表す意味の「座(くら)」の字を使って「矢座(やくら)」とも書きます。この櫓の形式は奈良時代からあったそうで、「続日本紀」に記述が見られます。
地域の歴史資料館なんかに行くとよく模型なんかであるやつですよ。
実はこのプロトタイプ「矢座」は両国国技館前でバリバリの現役で稼働しています。
といっても決して不平不満を募らせた力士たちが気に入らない親方衆や兄弟子に向かって櫓から弓を射かけたり、石のつぶてを力の限りぶん投げたりするところではありません。
国技館では太鼓櫓(たいこやぐら)と呼ばれ、太鼓を打つ場所として使用されています。
Youtubeにその様子がありますので、よろしければこちらをご参照ください。
信長や秀吉による近世城郭が全国に広まる以前、戦国初期から中期にかけての城(山城なども)は、このプロトタイプ「矢座(やくら)」が一般的でした。
山城、特に東日本方面の城跡で「櫓」の妄想を広げるには、この両国国技館の櫓を妄想で再現するのがよいでしょう。
近世城郭では倉庫と軍事機能が融合した
近世城郭の「櫓」では、倉庫機能の「矢倉」と戦闘機能の「矢座」が完全に融合します。
そこで問題が1つ出てきました。
「矢倉」の収納スペースを確保しつつ、「矢座」の物見を効率よく稼働させるためにはどうするか?
まずは収納スペースですが、これはもう上に伸ばすか、横に伸ばすしかありません。
後期のお城になると「二階櫓」、「三階櫓」と、どんどん高くなっていきます。
高くなり過ぎて、しかも何だかカッコ良くおさまったぞ!
となるとそれはもう天守閣に格上げです。
また横に収納スペースを伸ばして行くと「多聞(たもん)櫓」になります。
「多聞櫓(もしくは多門櫓)」の名称の由来には諸説ありまして、多聞城が最初に発明したからという説がありますが、「矢座」の機能から、守備兵が走りやすくした「走り櫓」が発展していったという説もあります。
では「矢座」がどのように発展していったか。より詳しく見て参りましょう。
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