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【高天神城】
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戦国サバイバルのプロ 小笠原与八郎と記念撮影♪
先は長いのでどんどん進みましょう。
ところでトイレはどこだ!?
本丸の手前「御前曲輪」まで来ました。
高天神城は古くは平安時代から修験者の修行場だったという神域です。
その辺でしちゃった方が早いと思わず失言してしまいましたが、本当にしちゃったらバチが当たりますね。
その神域を勝手に城に造り替えて、殺し合いをしていた戦国時代の人たちも相当なバチ当たりですが(笑)。
この写真。
武田信玄のように華麗にスルーしようと思いましたが、ムリでした。
遠州灘をバックに「小笠原与八郎長忠」と「その妻」になろう!というハイパーローカルなアトラクション。
小笠原与八郎は地元出身で、高天神城城主にして今川→徳川→武田と目まぐるしく変わる領主にその都度降服して臣従してきたという戦国サバイバルのプロであります。
しかし最後に武田に付くという痛恨のミスを犯し、歴史の彼方へと消えて行きました。
こういうご当地武将に出会えるのもお城巡りの楽しみの一つですね。
本丸 なんだかフツーの公園の雰囲気です
いよいよお待ちかねの本丸です!
何ということでしょう。
もはや公園の雰囲気しかありません(笑)。
武田信玄はあっさりスルーして行きましたが、信玄死後に跡を継いだ武田勝頼は、自軍の死傷者を多数出しながらもこの高天神城を力づくで徳川から奪取しました。
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「どうだ親父! 俺は遂にやったよ!」
勝頼がそんな風にドヤ顔で遠州灘を見ていたのかなぁ……と思うと何となく微笑ましい気持ちになりますが、大量の死傷者を出していて、もしも自分が家臣だったら、そんな気分になれないかもしれません。
喜ぶよりもむしろ
『おいおい。やり過ぎだろ。てか、武田家の戦線、どんだけ伸ばすんだよ!』
と文句を言いいたくても口を開けない家臣たちの姿がチラついてしかたありません。
実際、この城の後詰め(救出)に行けなかったことが、武田崩壊の契機になったという見方もあります。
ただし、そうした負の妄想を働かせない限りは、結構のどかです。
本丸の公園っぽさといい、御前曲輪のご当地武将といい、三の丸の休憩所といい。
高天神城はその戦歴から抱くコワモテイメージとは異なり、ピクニック気分も楽しめます。
家康の家臣が8年間も幽閉されていた牢屋
武田vs徳川の激戦のあった「的場曲輪」を通り、本丸の真下に回り込むと牢屋の跡が残っています。
最後まで武田勢に抵抗し、降服もしなかった家康の家臣、大河内某さんが8年間閉じ込められていたという牢屋跡です。
武田勝頼は高天神城を奪った後、結局は【長篠の戦い】で織田信長・徳川家康の連合軍に惨敗します。
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家康は、その勢いで、ここを再び包囲。
「付け砦」戦略で徹底的に囲い込み、じわじわと締め付けた末に総攻撃をかけました。
そして激戦の末、再び高天神城を奪い返すのです。
大河内某さんはその間ずっとこの牢屋にいたとか。
戦国時代の人の我慢強さというか強情さを感じずにはいられませんが、一方でそういう人間を殺さずに、あっぱれな武士よといつまでも面倒を見ていたという武田の武士もなかなかの器量ですね。
さらに……。
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