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【高天神城】
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城の西側・井戸曲輪へ お賽銭の準備を
さて、後半です。
高天神城の西側。
ピクニック気分が一変しますのでご注意ください。
高天神城の本気っぷりが見える坂ですね。
ちなみにトイレは、この西側に向かう一本道の手前にありました。
ここで用を済ましてから行けというような位置にありますので必ず立ち寄っておきましょう。
おっとその前に三日月井戸もありましたね。
ここはいまだに水が滴り落ちています。
どういうわけか小魚も棲んでいます。
ということでようやく城の西側へ。
井戸曲輪です。
文字通り井戸のある曲輪です。
右に見えるのは稲荷神社ですが、表札の記載によると、なんと「結ぶ 結ぶ 結ぶ」と3回心の中で唱えるとあらゆる願いが叶う、凄まじい神通力を持つ霊験あらたかなる稲荷神社だそうです。
財布を開け、お賽銭を探すと、こういうときに限って小銭が500円玉しかないという不思議。
「これがお稲荷様の神通力というものか!ええい。負けてなるものか。カバンに100円玉が転がっているはずだ。……うん。ない!ちくしょう、こういうときにちょうどよく100円玉がほしいよな。うわっ、100円ってお願いしちゃったよ。お稲荷様、うそです!100万円! 私は100万円といいました!」
お賽銭を巡る茶番はこの辺にしてそろそろ本気で先に進みましょう。
延々と続く空堀 高天神城マジ怖いっす
稲荷神社の前にあるのがこの井戸。
武田軍が徳川家康に城を包囲され、兵糧攻めにあっているときに城兵が掘った井戸だそうです。
ちなみに武田は穴を掘るのが得意です。
この技術を使い「土竜(もぐら)攻め」という城の土台を崩して崩壊させたり、城の内部に入り込むというルパン三世のような戦術を持っています。
なのでこれもその技術で掘ったのでしょう。
さてここでもう一度、あのガチな想像図を見てみましょう。
お分かり頂けるでしょうか。
井戸曲輪の左側、西の丸を中心に羽を広げたような形状をご覧下さい。
まるでゲーム・オブ・スローンズですね。
もはや壁っすわ、壁。
この西の丸を中心とした部分は、徳川との戦闘に備えて新たに増設された場所だけに、本丸のある東側と違って戦闘向きに造られています。
まさに鉄壁の防御。
高天神城の西側は【滅亡寸前、存亡】を賭けた縄張りなのです。
この延々と続く空堀をご覧ください↓
自分が一兵卒で突撃を命じられたら絶望感しかありません。
そして切り通し。
両脇からも攻められるし向こう側がまったく見えないという絶対に一番に行きたくないガチな絶望スポット。
合戦中なら確実に殺されますね。
もう本当にごめんなさい。
城外へと続く細い抜け道から武田軍は敗走を
西の丸の南側、両手を広げたような縄張りの左手の方へ向かいます。
こちらも狭い小道が続きます。
兵糧攻めの後に、最終的に徳川勢の総攻撃を受けて武田勢は敗走していくのですが。
この細い道は城の外へと通じる抜け道だったそうです↓
ちなみに道の左右は断崖絶壁で私のような登山素人、というか軽装では行く気にもなりませんでした。
逃げるのもガチです。
最後に、武田と言えば三日月堀!←ここテストに出ますよ。
ということで、城の南側の底に三日月堀があるらしいと分かったので下山して探しましたが、三日月堀はもはや沈められ、大きな貯水池になっていました。
この両手を広げたような「どこからでもかかってこいや」という城の形状。
高天神城は、まさに戦闘用のガチな城でした。
◆高天神城の攻略ポイント
「力攻めはダメ、絶対」by武田信玄
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文:R.Fujise(お城野郎)(→link)
日本城郭保全協会 研究ユニットリーダー(メンバー1人)。
現存十二天守からフェイクな城までハイパーポジティブシンキングで日本各地のお城を紹介。
特技は妄想力を発動することにより現代に城郭を再現できること(ただし脳内に限る)。