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【山城・平山城・平城の違い】
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【平山城の造り方】→サイズの小さな男山を……
これはもう男山の山城の応用と見た方がいいでしょう。
サイズの小さな男山(こう書くと、何か負けた気がするのは気のせいでしょうか)を要塞化していき、平地にも曲輪を配して行くと平山城です。
山でなくても丘程度の高さでも水の手があれば平山城は造ることができますので、数が多くなるのは当然ですね。
ちなみに平山城という分類は江戸時代の軍学者、つまり実際に城造りに従事していない学者による分類ですので、戦国期にはなかった言葉です。
戦国モノの漫画や小説で何かの拍子に見つけたら「ダウトォ!!!」とウザく言ってあげましょう。
姫路城。
このときの画像は天守修築中ですが。平山城なのが分かります。
【平城の造り方】→武士の館から発展した
近世城郭の殆んどがこの平城なのでなんとなく城の最終形態が平城のような位置付けですが、そもそも鎌倉時代から武士の館は典型的な平城です。
「いざ戦!」というときの後詰めに山城をセットで持っている守護なども多く、有名なところでは甲斐武田氏の躑躅ヶ崎館と要害山城の関係でしょう。
戦も一段落する近世から江戸時代にかけては防御性能を高めて、幕府にあらぬ疑いをかけれらるよりは武士本来の住まいである館形式すなわち平城が増えてくるのも当然ですね。
しかし見方をかえれば名古屋城のような平城にニョキっとそびえる巨大天守って……ほら、もう男山にしか見えなくなったでしょう(笑)。
駿府城と模型ですね。もうここまで来ると城というより巨大な館。
すぐに焼失してしまいましたが、駿府城もニョキっとそびえる天守が男山!(笑)
まとめ「堀切は胸の谷間あたりかな」
山城、平山城、平城とお城の分類を見てきました。
このようなお城にまつわる用語や分類法は、江戸時代の軍学者と呼ばれる集団によって作られたものも多いものです。
そこに囚われてしまうと、戦国期本来の城に隠された積極的な攻撃性能や地形をうまく生かした知恵などを見えづらくしてしまうことがあります。
学問するには良いのかも知れませんが、やはり我々のような妄想タイプの城マニアにとっては分類法だけでは妄想が膨らみません。
今、さりげなく「我々」と書きながら完全に巻き込んでいます、これを読んでいるあなたを!
ということで今後は、軍学者とは何者か!?
四神相応の縄張は誤解!?
築城名人の正体!
などを見て行きます。
みなさん、ついてきてくださいね~!
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筆者:R.Fujise(お城野郎)
◆同著者その他の記事は→【お城野郎!】
日本城郭保全協会 研究ユニットリーダー(メンバー1人)。
現存十二天守からフェイクな城までハイパーポジティブシンキングで日本各地のお城を紹介。
特技は妄想力を発動することにより現代に城郭を再現できること(ただし脳内に限る)。