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【日本住血吸虫症】
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患者の便から大きな虫卵を発見!
この解剖の参加者の中に、後に病因解明の大きな力となる三神三朗がいました。
現在の甲府市で開業していた三神は、
「なかの肝臓には変形した虫卵の固まりを中心とする多数の結節が出来ており、同様ものが腸粘膜にあった。虫卵の大きさはいままで知られている寄生虫のものより明らかに大きい」
という解剖の結果を聞き、地方病には新種の寄生虫が関わっていると確信します。
三神はドイツ製の顕微鏡を自腹で購入し、患者の便を見ることで、今まで知られていない大きさの虫卵を発見しました。
そして明治33年、その結果を医師会報に発表。
地方病の原因はこの卵を産む寄生虫だ!と考えましたが、肝臓の卵と便中の卵が一緒だという確証が無く、この時点では決定打になりません。
再び袋小路に迷い込んでしまうのか……。
そんなときに現れた助っ人が、岡山医学専門学校の教授・桂田富士郎でした。
研究会で三神と意気投合した桂田は、杉山なかや他の患者の肝臓の標本を顕微鏡で観察し、便中の卵と肝臓の卵が同じものだと判断しました。
さらに2人は腹部の腫れたネコに目をつけ解剖、ネコの門脈内から寄生虫の本体と卵を見つけるのです。
この発見によって、地方病が寄生虫によるものだと判明、また、ネコにあった卵はヒトから検出されたものと一致し、人畜共通の病気であることも分かったのです。
「泥かぶれ」川や田んぼに入った後に皮膚が赤くなる
次に調べられたのがヒトへの感染経路です。
当時の仮説は、経口感染と経皮感染の2つあり、経口感染が有力視されていました。
これに対し地元では、川や田んぼに入った後に皮膚が赤くなる「泥かぶれ」という現象がありまして。
地方病を発症する者は必ず泥かぶれがある――そんなことが日常生活の中で実感としてあり、経皮感染を疑う者も少なからずいました。
ともかく住民としては、確証はなくても対策はしなければなりません。
まずは、経口感染対策として飲料水を必ず煮沸しましたが効果ナシ。
そこで経口なのか経皮感染なのか、白黒つけるべく牛を使った実験が行われます。
a.小屋に閉じ込め煮沸した餌しか食べない群
b.口を縛って水田や川に入らせ餌は煮沸した群
c.防水装備で水田や川に入らせ餌を自由に食べさせた群
d.何もせずに水田や川に入らせた群
4つに分けた内、寄生虫に感染したのはdと……bでした。
この他にも自分に経皮感染させた医師などもおり、感染経路は「経皮感染」と判明しました。
経皮感染で、しかもヒト以外が感染するとなると予防は厄介です。
この寄生虫は事前にシャットアウトするしかない
ここで東京帝国大学卒の内科土屋岩保が、卵から孵った幼生は感染力を持たないことを発見、中間宿主の存在が示唆されます。
中間宿主が判明したのは大正2年。
九州帝国大学の宮入慶之助らが、新種の貝が中間宿主であると突き止め、その貝は「ミヤイリガイ」名付けられました。
10年後の大正12年には、住血吸虫の卵巣を破壊し、産卵不能にする薬スチブナールが開発されましたが、副作用も大きく、またダメージを受けた肝臓を治す作用はありません。
この寄生虫は事前にシャットアウトするしかない。
つまりは感染予防が重要課題となりました。
実はそれ以前の大正6年から『俺(わし)は地方病博士だ』という、当時珍しい多色刷りの冊子を有病地の小学生に無償配布するなどの啓蒙活動を進め、感染源対策として糞尿の処理や田に入る際の脚絆の着用の推奨が行われました。
更には中間宿主ミヤイリガイの撲滅運動にも着手。
住民による駆除や焼却、殺貝剤の使用、用水路のコンクリート化など、ありとあらゆる手段を講じた結果、ミヤイリガイは激減し、日本住血吸虫の新規感染は昭和53年を最後に報告されなくなりました。
そして平成8年、ついに終息宣言が出されました!
平成まで長引いたのが実におそろしいですね。
ともかく、やった!(ちなみに他国ではまだ存在していますが……)。
余談ですが私、一時期、広島県の片山地方に住んでおりました。
ここも日本充血吸虫症の流行地で「片山病」と呼ばれておりました。
この地の住血吸虫は1980年に根絶されており、かつ、私の家は流行地からも数㎞離れていたので感染の危険はなかったわけですが、休耕田で泥投げ合戦をやっていると隣のおバァちゃんから
「まりちゃん、田んぼには裸足で入るなよ~」
と注意をされました。
当時は石などで足を怪我すると危ないからだと解釈していたのですが、もしかしたら「俺は地方病博士だ」的警告だったカモ?
おバァちゃん、ありがとう。
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【参考】
甲陽叢書 ; 第1,2篇
温故堂(国立国会図書館デジタルコレクション)
日本住血吸虫/Wikipedia
住血吸虫症/Wikipedia
門脈/Wikipedia
地方病_(日本住血吸虫症)/Wikipedia