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【三浦按針(ウィリアム・アダムス)】
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侍に取り立て、名前も与え、領地も屋敷も取り揃える
家康はアダムスを重用し、大型船の建造を命じました。
船大工の家出身であるアダムスはその命令をこなし、120トンの船を作り上げ、篤い信任を得ることに成功します。
それでもアダムスは祖国に残した妻子が気になって仕方ありません。
家康はアダムス帰国を阻止するためにも、様々な手を尽くします。
アダムスは侍としての身分、妻、逸見村という領地から屋敷まで与えられ、領民に慕われる領主となりました。
さらにアダムスは、自らの商才を元に商売を始め、成功をおさめます。イエズス会の人々にとって、家康に取り入るプロテスタントのアダムスは厄介な存在でした。
1608年、ローマ法王パウロ五世は、それまでポルトガルに限定していた布教を、スペインに対しても与えます。
こうして日本は、ポルトガルだけではなく、スペイン、そしてオランダ、さらにはアダムスの母国であるイギリスからも「魅力ある布教地、あるいは交易地」として見られるようになりました。
こうなってくると、俄然アダムスの役目は大きくなる。家康にとって、交易相手としてはどれも魅力的であるのです。
しかし、同時に大きな悩みでもありました。
家康に対し、アダムスはテキパキと、そしてプロテスタントとしてアドバイスします。
「スペイン人の信仰はイギリス人の私としては全く受け入れようがありません。我が祖国でもイエズス会は布教を禁止しているんですよ。私たちイギリス人は信仰を理由に他人を攻撃しませんが、あの連中ときたら……」
アダムスとしてはイギリス人として、またプロテスタントとしてもそう思っていたのでしょう。
そもそもアダムスを処刑しろだの、ろくでもない海賊だの、先に家康に吹き込もうとしたのはカトリック側です。アダムスにすれば「仕返しだ!」という気持ちもあったかもしれません。
家康もしまいにはうんざりしてきました。
「なんで日本でまで、カトリックとプロテスタントが対立するんだよ……」
よっしゃ、オランダとイギリスに交易を絞ろう!
欧州の宗教事情にアタマを抱えつつ、それでも最終決断を下さねばならないタイミング。
そこで家康は、もったいないとは思いつつもポルトガル・スペインを貿易相手として捨て、プロテスタントの国であるオランダとイギリスに交易を絞ろう――と布教禁止に舵を切ります。
アダムスとしても、祖国イギリスと日本が通商することを望み、尽力しました。
言うまでもなくイギリスにとってもこの話は魅力的です。
早速、1613年、ジョン・セーリス船長、リチャード・コックスらを乗せたクローブ号が平戸に到着します。
この時期、徳川秀忠からイギリス国王ジェームズ一世に贈られた甲冑は、現在イギリスの国立武器防具博物館である「ロイヤルアーマリーズ」で展示公開されています。

秀忠からイギリスに送られた甲冑/ロイヤルアーマリーズHPより引用
しかし、アダムスはこの時来日したセーリスと性格的にあわず、交渉はうまくいかなかったようです。
かつては強い望郷の念があったアダムスではありますが、この頃には日本の妻子に愛着が湧いたこと、帰国すれば日本ほど高い地位は得られないであろうことから、そのまま留まることを望むようになっていたのです。
そうしたアダムスの態度が、セーリスら英国人にとっては『一体、お前は何人なんだ!』と不快に感じさせたのでしょう。
家康から絶大な信頼を寄せられたアダムスではありますが、残念なことに徳川秀忠は家康ほど彼を重用しませんでした。
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家康の死後、アダムスは地位と権限を失ってゆき、失意のうちに元和6年(1620年)4月24日、55歳で世を去ります。
当時の日英関係は、家康と按針というコンビによって支えられていたものでした。
この二人が亡くなったあと、両国間の関係は薄れてゆき、やがてイギリスは日本との交易から撤退します。
再度イギリス人が日本と本格的に交渉するようになったのは、幕末まで時を待たねばなりませんでした。
ファンタジーRPGのサムライにも影響を与えている!?
家康とアダムスの関係は強固であったものの、それが個人的なものに留まり、継続できなかったのは残念に思えるところです。
日英関係は途切れてしまいましたが、アダムスの存在は人々のロマンを刺激。
日本では2012年には舞台『家康と按針』が上演されています。
アダムスがモデルとなった小説がドラマ化された1980年製作のテレビドラマ『将軍 SHOGUN』は一世を風靡しました。ミュージカルやテレビゲームにもなり、大変なブームとなったのです。
このドラマには2013年頃にリメイクの話もあったようですが、続報がないので頓挫したのかもしれません。
しかし、『将軍 SHOGUN』を見て「サムライってかっこいいなあ」と思った海外のゲーム制作者が『ウィザードリィ』というファンタジーRPGシリーズに「サムライ」という職業をねじこみました(ちなみに変更前は「レンジャー」)。
中世ヨーロッパが舞台のゲームに、何故サムライは当たり前のように顔を出しているのか、という謎の答えはこのあたりにあるんですね。
さらにコーエーのPS4ゲーム『仁王 Nioh』ではついに主役となったアダムス。

KOEIの『仁王』ではついに主役となったアダムス
日英関係に与えた影響よりも、ある意味現代のサブカルに与えた影響の方が大きいかもしれません。
これからもアダムスの物語は、登場するメディアを変えて生み出され、彼の冒険は続いてゆくことでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
クラウス・モンク プロム/下宮忠雄『按針と家康―将軍に仕えたあるイギリス人の生涯』(→amazon)