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【武田と徳川の密な関係】
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幕末、武田ブランドの明暗
武田をルーツとする人物は、いったん改姓するも、復姓した家もあります。
当初は滅びた家であった武田が、むしろ徐々に誇れるブランドになっていったのでしょう。
板垣信方の子孫であるとされる、土佐藩の板垣退助はその代表といえます。
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悲惨な代表例としては、水戸藩の武田耕雲斎がいます。
彼は武田家の家臣である跡部氏の出身だとして、武田姓を名乗ることとしました。
水戸藩は、当初、武田信吉が治めた土地でもあり、光圀も信吉を丁寧に弔うほど。武田のルーツは水戸でより一層誇り高いものとなったのです。
そんな武田耕雲斎が巻き込まれたのが【天狗党の乱】でした。
幕末の水戸藩では、激しい内部抗争が起きています。その一派である暴発した天狗党に担ぎ上げられ、武田耕雲斎は徳川慶喜がいる京都まで向かうことになりました。
このとき、彼は美々しい軍装を身につけました。
武田信玄が使ったという馬印。
掲げられた「奉勅」という旗。
馬には銀覆輪の鞍をつけ、緋縅に武田菱をあしらった甲冑を着込み、そして金色の采配。
その姿はまるで戦国時代の武田家が蘇ったように思えたことでしょう。
しかし、現実に何世紀も経過しています。
【天狗党】は頼りにしていた徳川慶喜から追討命令を受け、酷い結末を迎えることに……。武田耕雲斎にとって、武田由来の軍装は黄泉路へ向かうものとなったのでした。
武田ルーツ同士が咲かせた幕府最期の華
将軍様のお膝元であることが誇りであった関八州は、幕末に向かうにつれ、治安が悪化してゆきました。
自衛の必要性を感じた彼らは、豪農までもが剣術や兵法を習得し始めます。
そんな中、江戸っ子からは「べえべえ剣法」とコケにされつつも、無類の強さを誇る流派が多磨にありました。
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真偽不明ながらも、こうした関東の猛者たちにはある誇りがありました。
自分たちは、家康が治安維持のために連れてきた武田遺臣がルーツである――
そんな中でもリーダーシップがあった道場主・近藤勇は、門人たちを率いて【浪士組】に応募。そのまま京都に残ります。
会津藩お預かりとなったことに、近藤は湧き立ったことでしょう。
会津藩が大藩だからだけではありません。会津藩祖の保科正之は、あの信玄の娘である見性院が育てました。そして武田遺臣である保科家に預け、そこで育ったのです。
秀忠の子でありながら、正之は保科姓を名乗り続け、松平に改姓するのは二代目からとなります。
会津藩士たちの中には「高遠以来」と名乗る者たちがいました。保科正之が高遠藩を治めていたころから仕えてきたという意味です。
ちなみに大河ドラマ『八重の桜』主人公である山本八重の家は、真偽はあやしいとされますが山本勘助の子孫を名乗っております。
ともかく彼らには、武田ルーツという共通点があった。多摩出身者と会津藩が結びつき、京都の治安維持と、滅びゆく幕府のために戦ったのです。
徳川幕府が終わりに向かう中、武田ルーツが結んだ縁が武士の華を咲かせたのでした。
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甲州流軍学
徳川家康の魅力の一つとして、滅ぼした武田家を丁重に遇したことが挙げられます。
これは単なる美談ではなく、切実な理由もありました。
徳川の軍制設計者ともいえる石川数正が、豊臣秀吉のもとへ出奔してしまったことです。
“軍事”という最高機密を保持するには、数正が関与できない、抜本的な改革が必要となります。
そうなると一から考え直すより、武田を活かした方が好都合……ということで甲州流軍学が採用され、徳川のお墨付きを得たのです。
むろん、家康が武田に対して律儀に接したからこそ、残された絆や栄誉もあります。
その伝統が今に生きているからこそ、現代の我々も武田の赤備えや戦ぶり、そして風林火山に心惹かれるのでしょう。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
『武田氏家臣団人名事典』(→amazon)
歴史読本『甲斐の虎 信玄と武田一族』(→amazon)
他