豊後に漂着したリーフデ号・青い帽子と衣服の人物がウィリアム・アダムスで、赤い人物がヤン・ヨーステン/wikipediaより引用

徳川家

三浦按針(ウィリアム・アダムス)は関ヶ原直前の家康に何をもたらしたのか?

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三浦按針(ウィリアム・アダムス)
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よっしゃ、オランダとイギリスに交易を絞ろう!

欧州の宗教事情にアタマを抱えつつ、それでも最終決断を下さねばならないタイミング。

そこで家康は、もったいないとは思いつつもポルトガル・スペインを貿易相手として捨て、プロテスタントの国であるオランダとイギリスに交易を絞ろう――と布教禁止に舵を切ります。

アダムスとしても、祖国イギリスと日本が通商することを望み、尽力しました。

言うまでもなくイギリスにとってもこの話は魅力的です。

早速、1613年、ジョン・セーリス船長、リチャード・コックスらを乗せたクローブ号が平戸に到着します。

この時期、徳川秀忠からイギリス国王ジェームズ一世に贈られた甲冑は、現在イギリスの国立武器防具博物館である「ロイヤルアーマリーズ」で展示公開されています。

秀忠からイギリスに送られた甲冑/ロイヤルアーマリーズHPより引用

しかし、アダムスはこの時来日したセーリスと性格的にあわず、交渉はうまくいかなかったようです。

かつては強い望郷の念があったアダムスではありますが、この頃には日本の妻子に愛着が湧いたこと、帰国すれば日本ほど高い地位は得られないであろうことから、そのまま留まることを望むようになっていたのです。

そうしたアダムスの態度が、セーリスら英国人にとっては『一体、お前は何人なんだ!』と不快に感じさせたのでしょう。

家康から絶大な信頼を寄せられたアダムスではありますが、残念なことに徳川秀忠は家康ほど彼を重用しませんでした。

徳川秀忠
なぜ徳川秀忠が二代目将軍に選ばれたのか 関ヶ原の遅刻は問題なし?

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家康の死後、アダムスは地位と権限を失い、失意のうちに元和6年(1620年)4月24日、55歳で世を去ります。

当時の日英関係は、家康と按針というコンビによって支えられていたものでした。

この二人が亡くなったあと、両国間の関係は薄れてゆき、やがてイギリスは日本との交易から撤退します。

再度イギリス人が日本と本格的に交渉するようになったのは、幕末まで時を待たねばなりませんでした。

 

ファンタジーRPGのサムライにも影響を与えている!?

家康とアダムスの関係は強固であったものの、それが個人的なものに留まり、継続できなかったのは残念に思えるところです。

日英関係は途切れてしまいましたが、アダムスの存在は人々のロマンを刺激。

日本では2012年には舞台『家康と按針』が上演されています。

アダムスがモデルとなった小説がドラマ化された1980年製作のテレビドラマ『将軍 SHOGUN』は一世を風靡しました。

ミュージカルやテレビゲームなど大変なブームとなり、「サムライってかっこいいなあ」と思った海外のゲーム制作者が『ウィザードリィ』というファンタジーRPGシリーズに「サムライ」という職業をねじこみました(ちなみに変更前は「レンジャー」)。

中世ヨーロッパが舞台のゲームに、何故サムライは当たり前のように顔を出しているのか、という謎の答えはこのあたりにあるんですね。

そして2024年に入ってからは真田広之さんの主演・プロデュース版の『将軍 SHOGUN』でも大いに話題となり、さらにはコーエーのPS4ゲーム『仁王 Nioh』ではついに主役となったアダムス。

KOEIの『仁王』ではついに主役となったアダムス

日英関係に与えた影響よりも、ある意味現代のサブカルに与えた影響の方が大きいかもしれません。

これからもアダムスの物語は、登場するメディアを変えて生み出され、彼の冒険は続いてゆくことでしょう。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】

クラウス・モンク プロム/下宮忠雄『按針と家康―将軍に仕えたあるイギリス人の生涯』(→amazon

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