絵・岡本亮聖

豊臣家

秀吉主催の北野大茶会!人がサッパリ集まらずわずか一日で終了す

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わずか1日で中止にした理由は、佐々成政のいる肥後(熊本県)で反乱が起きたことや、秀吉が多数の客をさばいて面倒になったとも言われてきた。

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しかし、本当の理由は「秀吉のメンツ」だったようだ。

これだけ豪華な演出にもかかわらず、初日に秀吉とお茶を飲みたいとくじを引いたのが、わずか803人しかいなかったのだ。

 

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九州商人にはアタマを下げて別の茶会

現代のアイドルグループがコンサートで何万人も動員するように、秀吉はこのとき10万単位で兵を動かしていた。

そんな大物が、庶民相手に【気さくに会ってくれる】という貴重な場である。

興味本位、好奇心をかきたてられた人々が、少なくとも数千人単位でやってくると考えていたのであろう。

にもかかわらず、800人しか来ない。

これがかなりの計算外だったのではなかろうか。

自分以外に集めた茶人が『堺』の人間ばかりで、プライドの高い京都人たちに受け入れられなかったという見方もあるが、いずれにせよ自身のプライドもズタボロにされた秀吉は2日目以降を急遽中止にしてしまう。

まるで「客のノリが悪い!」として突如ステージを降りてしまうワガママな大物外タレ……。

2日目以降に参加するつもりで九州から招かれた商人には、秀吉が頭を下げ、後日、わざわざ専門の茶会を開催するほどだった。

やはり秀吉には、途中で中止にしたことに対して引け目があったのだろう。

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川和二十六・記

【参考】
『秀吉の智略「北野大茶湯」大検証』(→amazon

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