まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ 半島へ再び渡海!「鬼石曼子」の出番でごわす

豊臣秀吉による朝鮮出兵を、俗に「文禄・慶長の役」という。
元々は朝鮮のその奥にある大国「明」を傘下に組み込む――という巨大な野望を実現化させるため、その途上にあった半島へと攻め込んだのが始まりだが、豊臣軍はイキナリそこで躓いた。
いや、確かに上陸後は日本側の想像以上に優位に進んでいた。進みすぎたのである。

早すぎる進軍に兵站が追いつかなくなり、よって補給も滞るようになり、軍は次第にほころびを。
特に半島付け根まで一気呵成に軍を進めた加藤清正と、朝鮮・明との交渉も考えながら構えていた小西行長では合戦に対する姿勢があまりに違いすぎた。

とにもかくにも文禄の役・一時停戦のためにはそれぞれの親分を騙すしかない――。
そこで小西行長と朝鮮・明の交渉役たちは偽の国書を携えるなどしていったんは矛を収めることに成功したのだが、偽計は即座にバレ、日本の諸将たちは再び戦場へ出向くことになる。
慶長の役。関が原の戦いからわずか3年前、西暦1597年のことであった。

 


小西と清正の因縁は続くよ、慶長までも

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◆朝鮮出兵によって一番不利益を被った日本側の武将は小西行長さんではないでしょうか。
そもそも商人出の武将であり、畿内や九州にかけてはもちろん、対馬の宗氏とも婚姻関係があり、朝鮮出兵はそれこそ死活問題でもありました。
加藤清正さんのことを「戦場で暴れまわっているだけのバカ」と思ってしまっても仕方ないかもしれません。

 


裏の裏はドッチ? お国柄の出る危機対応

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◆朝鮮水軍を率いる李舜臣は、小西行長からもたらされたという清正の上陸情報を頭から否定。
結果、日本軍を無傷で上陸させてしまい、そして罷免へ。一時は死罪まで言い渡されたというから、戦時中だっつのに恐ろしいコトです。
後任の将軍は、ここにも出てくる元均さんでした。

 


われこそは島津特攻隊の「鬼石曼子」なり

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◆島津四兄弟の中でも最強の武闘派と言えば、やっぱりこの方、義弘さん!
秀吉や三成など豊臣政権の中枢にも気に入られた豪傑であり、朝鮮出兵においても「鬼石曼子」として恐れられたと伝わっております。
慶長の役では、後に泗川の戦い(しせんのたたかい)で大戦果を、VIVA、SHIMADU!

 

絶対に触れられない如来がそこにはある! チャララ~♪ラララ~♪

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◆善光寺如来は、川中島の戦いによる戦火から免れるため武田信玄が甲斐へ持ち込み、後に織田信長の手へ。
本能寺の変で信長が死ぬと、次男・信雄の手を経て、秀吉に渡ります。
しかし……これを強行してしまった頃から秀吉は病がちになり……。

(来週へ続く)

漫画・アニィたかはし
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