まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ 後の関が原に影響大!伏見城での行き違い

徳川家康が上杉家討伐に出向いたタイミングを見計らい、ついに蜂起した石田三成。
当初は徳川派だった大谷吉継という味方にし、更には総大将として毛利輝元を担ぎ、万全の状態で挙兵した。
しかしその矢先、人質に取ろうとした細川ガラシャには実質的に自害され、にわかに計画は狂い始める。
豊臣恩顧たちに見限られていた信頼を取り戻すことはできるのか。
真価が問われんとするとき立ちはだかったのが、家康の忠臣・鳥居元忠であった――。

 


家康ってこんなに悪いんだよ~な13箇条!

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◆豊臣のことを第一に考え、豊臣のために戦う!
たとえそうだったとしても、その真意が味方にすら通じず、人望がないってホトホト辛い場面ですよね……。
このときも事前に五奉行を解任されていた三成は、前田玄以・増田長盛・長束正家の三奉行に家康弾劾の13箇条を発布させたのでありました。そして向かった先は……

 


伏見城に現れた島津兄弟No.1の猛将

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◆豊臣政権において、島津家中で最も信頼されていたのが島津義弘でした。
ヘタをすれば本家の義久よりも重んじられており、実際、朝鮮出兵などでも義弘は大活躍するのですが、ちょうど関ヶ原のときは上京していながら、兵数は少なく、いざ合戦が始まるとなると、東か西かを選ぶに選べず、非常に苦しい立場であったといいます。
こんな状態から、後に『島津の退き口』を演出してしまうんですから、まぁ、ほんとに凄まじい一族(義弘と豊久)っすなぁ

 


三成、島津の助太刀を軽んじる!?

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◆島津義弘は石田三成とも親交深かった――という話がありますが、このときは非常に微妙な立場だったといいます。
本家・島津義久が東軍・西軍どちらを選ぶのか。その判断も確認できぬまま、なし崩し的に伏見城攻撃に加わらねばならなかった可能性があり、ほんと辛い立場としか……。
実際、三成がここまで義弘を軽んじたとは……いや、もしかして><;

 

後の裏切り者もここでは城攻めに……

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◆関ヶ原が決戦場となったのは、西軍にとっては吉だったのか凶だったのか。
結果だけを見れば間違いなく凶であり、その原因ともなったのが伏見城での鳥居元忠の大奮闘でした。
降伏せず、まさに城を枕に討ち死にするまで戦い抜き、その忠臣っぷりが今にも伝わっておりますが、実はこの戦いには小早川秀秋さんも参加していた、という……。もちろんこのときは西軍での参戦であります。

漫画・アニィたかはし
【毎週・月曜日連載】

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