徳川家康に直江状を叩きつけ、会津の軍備を整えながら、徳川への反骨心を剥き出しにした上杉景勝と直江兼続。
対し徳川はこれを撃つため自らの主力部隊や、福島正則、細川忠興などを先鋒として征伐軍を組み、今まさに会津へ襲いかからんとしていた、その矢先のことであった。
石田三成、挙兵――。
その後の関が原勝利から、家康はまるで三成の挙兵を促すため会津へ出征したかのように語られたりもするが、果たしてその分析は正しいのであろうか。その後のドラマな展開がかような想像を我々に換気するのか。
関が原の前哨戦、いよいよ佳境へ向かう!
あれ? なんだかタンパク、犬伏の別れ
◆西軍に付いた真田昌幸&幸村と、東軍に付いた真田信之。その決別劇が犬伏の別れですね。
ここでふと思うことがあります。もしも大谷吉継が三成と共に挙兵せず、東軍についていたら、吉継の娘を嫁にしていた幸村は兄と一緒に東軍になったのか?
いやぁ、歴史に禁物のIFトークですが、気になるものは気になっちゃう。
ともかく93歳まで生き抜いた、お兄ちゃん・信之さんの生命力にはただただ脱帽です
ワシか、三成か、今スグ決めんしゃーーーい!
◆東軍に付くか付かぬか――は自分の考え次第でいいからね♪ by家康 in小山
小山評定って、なんだか怖いですよね。意志を奪われるというか。もちろんこんな場面で反旗を挙げる連中はごくわずかであり、家康は無事に豊臣子飼いの連中も取り組むのでした。
家康にせっつかれた武将たちは、その日、飯も食えなかったでしょうなぁ。
何とかとフクシマは使いようってことで
◆豊臣きっての武断派だった福島正則さん。家康には「秀頼は守る」と諭されて東軍となり、三成と敵対したと言います。
普通に考えれば、豊臣子飼いが徳川につくなんて理屈はありえないんすけどね。三成さんの嫌われっぷりがクローズアップされますのぅ。
後の裏切り者もここでは城攻めに……
◆北畠家に仕えてから、織田信雄→豊臣秀吉→豊臣秀頼と渡り歩いた田丸さん。妻は蒲生賢秀の娘で、氏郷とも関係が深かったですが、反家康に回ります。
たしかに嫌いではないけど、身近に居たらちょいと面倒くさそうな感じもありますな。
漫画・アニィたかはし
【毎週・月曜日連載】
戦国ブギウギの書籍版です!