『真田丸 完全版ブルーレイ全4巻セット』/amazonより引用

真田丸感想あらすじ

『真田丸』感想レビュー第50回(最終回)「◯◯」 そして船は次へ向かって港を発つ

最終回直前でもニュースがありました。

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草刈正雄さんは、Gacktさん(『風林火山』の上杉謙信役)や、綾瀬はるかさん(『八重の桜新島八重役)のように、大河後も真田ゆかりのイベントに顔を出しそうですよね。

大河って役者さんの人生をも変えるのだなあと感慨深いものがあります。

本作を見て楽しんだ人は、この夜、何とも言えない思いを抱いていることでしょう。

中でも、本作が初めて夢中になるまだ若い子供たちと、その親御さんに言いたいことがあります。

本作では、真田幸村が哀しい最期を迎えます。それを見届ける子供を私はうらやましいと思います。

私のようにいい歳になってしまうと、幸村が何故負けたか、こうなることも『仕方ない』と思えてしまうのです。

しかし、子供のうちに幸村の哀しい最期を見てしまったら、世の中には何故こんな残酷なことがあるのか、自分が応援していた人が何故死んでしまうのか、どうしてこんなにつらいのだろう、いつも見ている漫画やアニメではこうならないのに、と三日くらい苦悩してもおかしくはありません。

私もかつて、源義経や諸葛亮の最期を読んで一週間くらい落ち込んでしまったので、その気持ちはわかります。

歴史ものの哀しいエンディングというのは、子供にとって人生で最初に遭遇する世間の不条理だったりするんですよね。

今になってみると、あの幼い心が味わった深い哀しみは、よい思い出なんです。初恋と並ぶくらい甘酸っぱい気持ちです。

酸欠になるくらい落ち込んで、どうしてこうなったかと調べるうちに、どっぷりと歴史ファンになってゆく。

だから、今週の幸村を見て、子供たちには落ち込んで、悲しんで、三日くらいのたうち回って欲しい。

その痛みや哀しみ、そこまで物語に没入できるという経験は、本当に幸せなことだからです。

そして、ずらずらと並ぶ人名、凸がたくさん並ぶ布陣図を見るだけで興奮するような、立派な歴史オタクになってください。

今日の涙が明日の歴史ファンを作ります。

歴史って面白い、とても素敵なことなんだと学んでください!

親御さんも安心して、これも成長過程だと、お子さんたちにこのドラマの最終回を見せてあげてください!

きっと一生の宝物になります。

長い前置き失礼しました。いよいよ本編です。

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『真田丸 完全版ブルーレイ全4巻セット』(→amazon

 


いよいよ決戦

大坂城下から戻る途中、真田信之は、粗末な尼寺で本多正信と相部屋になります。

いよいよ決戦を控えて、この場面から始まるは意外でした。

大坂の幸村は、明るく振る舞いながらも死を覚悟した配下の者たちに、生還するつもりでいるようにと励ましの言葉をかけます。

さらに幸村と佐助は、厨番の大角与左衛門を問い詰め、内通していたことを問い質します。

与左衛門はそこで、自分は豊臣に仕えたつもりなどない、と言い放ちます。彼の娘は豊臣秀吉に手籠めにされ、妻とともに自害していたのです。

家族がいないと語っていたこと(第四十八回)が伏線でした。

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与左衛門にとって豊臣は妻子の仇なのであり、豊臣家が滅び大坂城が燃え尽きることこそが彼の宿願です。

そのために危険を冒してまでじっと潜んでいた彼の気の長さはただ者ではありませんが、その驚嘆すべき能力はこれだけではありません。

幸村に斬られる前に、与左衛門は焼き串で腹を突いて自害します。

しかし、串ごときで人は死ねるのでしょうか……。

幸村と毛利勝永は満を持して出撃、そこへ秀頼も総大将として出馬する手はずが整いました。

その前に幸村は、茶々の元に向かいます。もはや死を覚悟し、誇り高い死を望むとつぶやく茶々

誇り高い死に方などない、誇り高い生き方しかないと幸村は諭します。

さらに幸村は、茶々自身や秀頼の死を想像したことがあるのかと続けるのですが、「私の愛する人は皆死んでゆく!」と茶々は取り乱してしまいます。

茶々はずっと悪い夢を見ていたのだ、そこから必ず連れ戻すと幸村は諭します。

必ず家康の首を取り、有利な条件で和睦を勧める、四国の主として生きる道があると幸村は告げるのです。

茶々は幸村が死ぬつもりかと察知してまた取り乱します。

もし自分が討ち死にしても、千姫を使者に出せば助かる道はあると言う幸村。

彼は最後まで望みを捨てず、あくまで前向きなのが幸村なのです。それがたとえ、傍から見ても甘い見通しだとしても。

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廊下を歩く茶々の背後で重々しく扉が閉ざされ、寵愛を得て天下人の妻になるというよりは巨大な牢獄に閉じ込められるかのようでした。

あのときから茶々は、天下一豪奢な牢獄に閉じ込められていたのでしょう。

そこを抜け出すには、牢獄ごと破壊するしかないのでした。

幸村は出撃前に、今の自分を父・昌幸が見たらどう思うだろうか、生きた証を残せただろうか、と自問自答します。

内記は、大事なのはいかに生きたか、家康とやりあった幸村の名は必ず残ると言い切ります。

庭では早くも蝉が鳴き始めています。

ずっと長いこと地中にいて、地上に出てきたら、狂おしいほど激しく鳴く蝉。蝉と幸村の生涯が重なります。

秀頼、毛利勝永、明石全登らも出陣の準備をします。

茶々はカルタ遊びをしながら、きりと話しています。

茶々に幸村との関係を問われたきりは「一言では説明できませんねえ。腐れ縁」と微笑みます。

きりは誰かの娘としてでも、妻としてでも、母としてでもなく、己の一生を歩み続けました。愛する幸村の隣を歩むと決めて、その通り生きてきました。

そういう強くたくましい人生を、にっこり笑顔で「腐れ縁」と表現するのが、いかにも彼女らしいと思います。

徳川本陣では、徳川秀忠がなぜ出撃しないのかと苛立っております。

ここで本多正純が秀頼牽制策を出して来ました。

幸村が裏切ると噂を流し、同時に大坂方に有利な和睦条件を文で送るのです。巧妙な策に、家康も父に似てきたと上機嫌です。

この場面は見ようによっては皮肉です。

こうした策が重宝される乱世は、まさに終わろうとしているのですから。

平時において策を弄する者は周囲から疎んじられます。正純はそのことを理解していたのでしょうか。

 


千成瓢箪

幸村、勝永、大野治長は秀頼の出馬はまだかと気を揉んでいます。

治長は持参した金色に輝く「千成瓢箪」の馬印で味方を欺く策もあると言いますが、幸村はやんわりと断ります。

ここで、毛利隊に敵が鉄砲を撃ちかけ、もみ合いにあったと報告が入ります。勝永は自陣に引き返す。

秀頼はまだ出馬できません。

大蔵卿局は本多正純の策にかかり幸村を疑い、秀頼を引き留めているのです。

最後まで浅はかではありますが、秀頼に出馬はならぬと懇願する声音からはいつもの威厳だけではなく、狼狽し相手を心配する感情が伝わってきました。

憎まれ役。されど彼女の演技はいつ見ても素晴らしいものがありました。

秀頼も疑惑をぬぐい去ることができず、幸村の裏切りについて確認するよう配下に命じます。

毛利勝永は本多忠朝(忠勝の次男、稲の弟、信政の叔父)の陣を蹴散らし、真田信吉の軍勢に迫ります。

信吉は迷った末、命令があるまで動かないことを選択しますが、好戦的な弟の信政は出撃します。

真田隊は敵に蹴散らされてしまいます。

幸村は大助に秀頼の出馬を促すように言いつけますが、大助は父と共に戦いたいとして断ろうとします。

幸村は若輩者のうえ脚に怪我をした者がいたら足手まといだと強い言葉を大助に掛け突き放します。

ショックを受けた大助を、真田家流のスキンシップである頰を軽く叩くことでフォロー。

この小さな場面にほっとしました。

すれ違ったままで父子を迎えるのは哀しいですから。ここまでしなければ、幸村は寝返りの疑いを払拭できないのですから、辛いものがあります。

そのとき、与左衛門がよろめきながら秀頼と大蔵卿局の元にやってきます。

なんと幸村が徳川の間者と会っているところを目撃され、口封じに斬られたと嘘をついたのです。

つまり彼は、死ぬふりをしていたわけで、与八の死体隠蔽といい、執念によってすさまじい力を発揮します。

 


真田と毛利の快進撃

真田信吉の陣では、信政の軽挙を小山田茂誠が叱りつけます。

悔しさのあまり切腹しようとする信政をかばうのは、兄の信吉だけでした。

信政は悔しがり陣を出て行き、三十郎があとを追いかけます。二人は真田幸村の軍に囲まれます。

三十郎は馬上の幸村を見て涙ながらに槍を振るいますが、軽くあしらわれてしまいます。

「小者にかまうな!」

そう言い捨て去る幸村。作兵衛が三十郎の無念を受け止めます。

絶叫し、「源次郎様!」と名を呼ぶ三十郎です。

真田と毛利の快進撃により、徳川勢は大混乱に陥ります。

なかなか凝った映像で、馬上カメラという珍しい視点も出てきます。

家康は危険を察知すると、足腰もしゃんとして、年齢を感じさせない機敏さで逃げ出すのでした。

途中で転ぶあたりは伊賀越え(第五回)を思い出します。

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あのころから幸村に追いかけられる家康が楽しみでしたが、期待を上回る逃げっぷりです。逃げるは恥ですが、生きるのには役立ちますからね。全力で走りましょう!

なお、家康の馬印が倒されたのは、三方原の合戦以来のこと。この馬印の扱いについて、あとで豊臣との違いが際立ちます。

ここまでの戦況は豊臣方の有利です。

大野治房も秀忠本陣に襲いかかります。父と違って一度は応戦しようとした秀忠ですが、雄叫びをあげた治房を見て逃げ出します。

そりゃあんなごつい男が奇声を発しながら向かって来たら逃げますよね。すごい説得力です。

脚が動かなくなった家康はよろよろと地面に座り込み、「わしゃ腹を切る!」と言い出します。

周囲の者が何とか彼を止め、胴上げ状態で家康を連れてゆくのでした。

 

治長が致命的なミス

戦いは豊臣勢に圧勝、に思われました。

ところが治長が致命的なミスを犯します。

一度城へ戻ることにした治長は、千成瓢箪の馬印を持ち帰ってしまうのです。

これを見た雑兵たちは、秀頼が城へ逃げ帰ったのではないかと動揺。

馬印を倒されても立て直す徳川と、馬印が移動するだけで軍勢が崩壊する豊臣。

その差は大きいのです。

しかも不運は重なります。

与左衛門が厨で城へと執念の放火。大坂城は炎に包まれます。

与左衛門の娘を手籠めにし、母娘もろとも死へと追いやったとき、秀吉は何を考えていたのでしょうか。

おそらく何とも思わなかったでしょう。

秀吉は、茶々と我が子の出自を揶揄する落書を見ただけで容疑者周辺の住民まで殺し(第二十回)、秀次への怒りのためにその妻子を処刑したのです(第二十八回)。

虫けらを踏みつぶしたくらいの痛みしか感じなかったでしょう。

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その虫けらのような存在に、難攻不落の大坂城を燃やされるとは、まさに因果は巡る。

豊臣家滅亡の責任の所在は、大蔵卿局や織田有楽斎にはありません。

秀吉が人の心と命を踏みにじり、そのつけが茶々は秀頼にめぐってきたということは、本作を見ていた方ならおわかりでしょう。

城からあがる煙を見た家康は、流れが変わる瞬間を察知します。この好機を逃すわけはありません。

「最後の戦国武将」である家康は、反撃を開始。

昌幸は「初陣で恐怖を感じたものは戦が下手になる」と言いました(第三十六回)。

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初陣ではなくとも、家康はそれこそ何度も恐ろしい目に遭いました。

三方原で逃走する姿を昌幸は面白がっていました(第四回)。

その男は今や戦の名人となりました。

大嫌いな戦を終わらせるために、家康は戦の名人となったのです。

 


倒れていく男たち

家康の命を受け、徳川勢は我先にと真田隊に襲いかかります。

馬上で幸村は声をからして「秀頼公はまだか」と叫びます。この状況でもなお、秀頼によって逆転する望みを捨ててはいません。

大坂城では、与左衛門こそが裏切り者と判明しました。

治長に「今こそ出馬を!」と促された秀頼はいよいよ出馬しようとしますが、ここへ雑兵が逃げ出しているという知らせが入ります。それでも秀頼は出馬しようとしますが、次々と苦戦の報が届くのでした。

流れが変わったと城内の皆も悟ります。明石全登の援軍も徳川勢に遮られます。

毛利勝永と明石全登はかなりの戦上手なのですが、もろもろの都合でその活躍があまり見られないのは残念なことではあります。

幸村は作兵衛が時間稼ぎをする間、単騎でどこかへと駆け出します。

秀頼は周囲を振り切りついに出馬しようとするも、その前に茶々が立ちふさがります。

武士らしく死にたいと言う秀頼に、生きる望みはまだある、生き残る策がある、望みを捨てなかった者にのみ道は開けると茶々は諭します。

その茶々の望みである千姫は、きりに導かれ城を落ち延びてゆきます。

城内では、長く真田に付き従ってきた者たちが最期の時を迎えていました。

老体でありながらも戦い抜き、昌幸の位牌を手に息絶えた高梨内記。

すえと梅の名を呼びながら、自ら耕した畑の上に斃れた作兵衛。

乱戦の中、彼は最期まで畝を踏みませんでした。彼らの生きた証を視聴者の胸に刻みながら、次々に退場していきます。

 

駆け抜ける幸村と家康の最終決戦

千姫を導くきりは、単騎駆け抜ける幸村の姿を目にします。

初登場時のきりは、真田の郷を歩く幸村の姿を丘の上からじっと眺めていました。

そして今目の前にあるのは、きりがずっとあこがれてきた幸村の、生涯で最も輝いている姿です。

きりにとって、この沈む夕日のように美しく、赤く輝く幸村を見られたのは、幸せなことだったのでしょう。

幸村の駆け抜けたその前にいたのは、家康でした。

家康は、今度は逃げも隠れもせず幸村と対峙します。

幸村は十文字槍に銃身を掛け、馬上筒で家康を狙います。

しかし、一発目の玉はそれます。幸村は銃を捨て、二丁目を構えます。

家康は銃口を向けられても、動きません。

かばおうとする周囲の者に手を出すなといい、「殺したいなら殺すがよい」と家康は言い切ります。

「わしを殺したところで何も変わらん。徳川の世は既に盤石! 豊臣の天下には、戻らん! 戦で雌雄を決する世は終わった。おぬしのような、戦でしか己の生きた証を示せぬような手合いは、生きてゆくところなど、どこにもないわ!」

「そのようなことは百も承知! されど、私はお前を討ち果たさねばならぬのだ! 我が父のため、我が友のため、先に死んでいった愛する者のために!」

幸村の銃口は家康を狙い、引き金が引かれます。しかし弾はまたも当たりません。

これぞまさにこの一年の集約でしょう。

私はこのレビューで、家康と全く同じことを書いて来ました。

家康の首を取ったところで何も変わらないじゃないか、戦うことで自己表現する幸村はエゴイストではないか、と。

戦をせねば生きてゆけない幸村や昌幸のような存在は、滅びてゆくものだ、と。

それを幸村はわかったうえで全否定です。

そんなことはどうでもいいんだ、私は好きに生き、生きた証を残したいのだ!

よくぞ言い切りました。

幸村は今の自分を父が見たらどう思うかと言いました。

昌幸だったらば、信濃一国をくれると言われたのならば、案外あっさりと豊臣を裏切ったかもしれません。

幸村は昌幸から受け継いだ魂があるとはいえ、まったく同じではありません。

景勝のような美しく生きたいという思いもあります。

父がギャンブラーなら、子は芸術家でしょうか。父が己の才知を賭けのために使うのならば、子は才知を美しい生き様のために使う。

そんな違いがあると思います。しかし、そこに違いはあっても、優劣はありません。

 


上杉景勝「さらばじゃ」

この幸村と家康の対話には本作のテーマがみっちりと詰まっています。

そしてこれは、人の形をした「中世」と「近世」の対話であり、対峙でもあります。

そうなると先ほど逃げ回った家康が逃げない理由もわかります。

彼はここで死ぬ運命ではない、たとえそうなっても新しい時代は続くと悟りきったのでしょう。

こういう大胆な創作シーンは、よほど意味がない限りやらない方がよいと思われるものです。

この場合は、作品の根幹にあるテーマに沿ったものであり、かつカタルシスを得るためにも必要でしょうから、よいと思います。

そこへ、実にいい笑顔の秀忠が助けにやって来ます。

家康はまだ「中世」が残っていたとしても、秀忠にはありません。彼にとって頭にあるのは「近世」実現のための現実だけです。

ロマンは不要。

笑顔で幸村を襲うのも当然のことです。

幸村は下馬してまで窮地の中を戦い、佐助の忍術で虎口を脱します。

その様子を、伊達政宗、片倉小十郎、上杉景勝直江兼続が讃美の目で見ています。

他の者たちが去ったあとも、景勝は幸村の生きた証を目に焼き付け、まるでもう一人の、理想の自分に別れを告げるように「さらばじゃ」とつぶやくのでした。

ここで場面が切り替わります。

寧は大坂城の終焉を片桐且元から聞き「これもすべてまた夢」と漏らすのでした。

幸村と佐助は寺までたどり着き、そして力尽き、鎧を脱ぎ捨て休んでいました。

追っ手が来ると幸村は軽く微笑み、膝を突いて降伏するかのような姿勢になります。

相手が近づいてきたところで、隠し持った武器で頸動脈を刺し殺す幸村。

昌幸の薫陶がここで生かされました(第三十八回)。

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不意打ちで人を殺す技術が、父子の継承として肯定的に描かれるのは本作らしい点です。

 

幸村「ここまでのようだ」

しかし「ここまでのようだ」と幸村はつぶやきます。

介錯の刀を佐助に渡す幸村。佐助の年齢を聞くと、五十五だそうです。

「疲れただろう」

「全身が痛うございます」

「だろうな」

主従はこんな会話を交わします。劇的ではなく、日常の延長のような会話です。

光の当たり方などは第二回の武田勝頼自刃に似せてきている場面ではありますが、勝頼のように劇的な台詞を吐くわけではありません。

堺雅人さんのやからかい雰囲気が最期の場面にまで生かされています。

彼が幸村役で、本当によかったと思います

幸村は梅が渡した六文銭のお守り(第十三回)を掌に出し握りしめ、切腹のために短刀を抜きます。

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大坂城では燃えさかる天守閣を見ながら、茶々、秀頼、大野治長、大蔵卿局、大助らが最期の時を迎えていました。

千姫はきりに伴われ、家康本陣にたどり着きます。千姫は笑顔で祖父の家康と父の秀忠に迎えられ、安堵の表情を見せます。

大坂方最後の希望が潰える瞬間を目にしたのは、きりであったでしょう。彼女の役目はここで終わりました。

勝永は何もかもが終わった戦場を、暗い目で眺め城へと撤退します。

真田信吉の陣にいる人々は、彼らの日常を取り戻します。書物に目を落とす信吉。武術を鍛錬する信政と三十郎。愛妻・松とおそろいの香り袋のにおいを嗅ぐ茂誠。

春と梅たちは、伊達勢に匿われて落ち延びます。

すえと十蔵はおにぎりを食べ、幸せな生活を送っています。

そうした彼らの場面のあと幸村は、目を閉じます。

場面は切り替わり、本多正信の領地玉縄に変わります。

尼寺で相部屋になった信之と正信は、江戸への帰路で立ち寄ったようです。領民たちは正信の姿を見ると「殿様!」と大喜びで近づいて、挨拶をしてきます。

信之が感心していると、正信は「戦と同じで人之心を読むことだ、無理をさせず、楽をさせず、年貢を取り、その上で領主たるものは決して贅沢をしてはならない」と統治の心得を信之に教えます。

戦場では狡猾な策で敵を翻弄してきた男の、名君としての顔がうかがえる場面です。

そこへ早馬が参り、信之に火急の知らせがあると告げます。

正信は内容を察して「御免」と信之から離れます。信之は知らせを敢えて読みません。信之はこうが渡した六文銭のお守り(四十九回)を取り出し、握りしめ前を見つめるのでした。

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「参るぞ」

河原綱家にそう告げ、信之は歩み出します。

長い彼の人生は、ここまででまだ前半生です。真田家の物語は、彼とその子孫の元、続いていきます。

 


MVP:幸村と家康

本作のテーマとなる二人の会話。

あの会話に様々な、これまでの一年間の要素がぎっちりと込められていました。

それを演じきり、荒唐無稽に見えかねない場面に、説得力を持たせて見せたのは、この場面だけではなく今まで積み上げてきた様々な力の結集です。

今まで様々な名場面がありました。

どれか一つをあげろと、とんでもない難しい欲求を突きつけられたらば、私は迷わずこの場面をあげます。

そういう場面を最終回に作り上げた本作に、敬意を表します。

 

MVP番外編:この船に乗った人、もちろんあなたも

こういうMVP選定は反則ではありますが。

スタッフや出演者はもちろんのこと、見て、録画して、ブログで感想を書いて、感想を話し合って、ツイッターでつぶやいて、丸絵を描いて、観光地や展覧会に行って、そうやって本作という船に乗れた人全員がある意味功労者ではないかと思います。

船に人が乗ったからこそ、本作は盛り上がったのです。

 

逆MVP?:『花燃ゆ』に佐久間象山を出さなくてもいいや、と思った人

エンドロール後のナレーションで「佐久間象山が徳川幕府崩壊のきっかけとなった」と聞いて首をひねった方もいることでしょう。

佐久間象山が吉田松陰の思想に影響を与え、その松陰の弟子たちが幕府を転覆した、と解釈すればやや強引ですがありかと思います。

昨年の『花燃ゆ』で佐久間象山と吉田松陰の関係をちゃんと描いていれば、わかりやすかったと思うんですけどね。

 

総評

本作の初回は「船出」でした。

では「帰港」したのかというと、そうではないと思います。

真っ赤な帆を掲げた船は、大海原の向こう、水平線へと消え去ってゆきます。

私たちはこの船から下りるかもしれません。しかし、船は進んでゆくのです。

本作を見終えたあとでも終わった感じがない、終わったけれども進んでゆく、そんな思いがあります。

「真田丸」とは、乱世に翻弄されながらも進んでゆく小舟と譬えられました。

最終回を迎えると、もう一艘の船があったことに気づかされます。

乱世を生き、その途中で斃れた人々。

武田勝頼、北条氏政・氏直、石田三成大谷吉継

生き延びたけれども自分の思う通りに歩めなかった人々。

真田昌幸、真田信尹、上杉景勝、伊達政宗。

そうした無念を載せて信繁は幸村となって駆け抜けました。

幸村の赤備えは、血の色であり、炎の色であり、情熱の色であり、沈みゆく日の色でした。徳川家康は乱世を終わらせ、「偃武」の世を作り上げました。

武器をおさめ手に取らなくする世をもたらしたのです。まさに終わりゆく時代の、沈みゆく最後の輝きだからこそ、幸村は赤く染まっていたのです。

幸村は真っ赤に染まった「落日」の輝きとともに人生を終えました。

しかし、その「旅路」は終わりません。

真田の物語はこれからも続いてゆきます。

四百年間、彼の生き様に、大きな力に抗ったその輝きに魅力を感じた人々は、彼の物語を紡ぎ続けていました。

本作もその系譜に当たります。

本作が何より素晴らしいことは、この幸村というバトンを次世代につないだことでしょう。

本作に夢中になって自由研究を仕上げ、家族とともに真田ゆかりの地をめぐった子供たちは、将来自分なりの「真田」幸村の物語をつむごうとすることでしょう。

「真田丸」という船は消えてゆき、私たちの目の前から見えなくなります。

しかし何年かのち、誰かがまた真田幸村と四百年分の人々の思いが乗せた船を出航させるのです。

本作に欠点がなかったと言うつもりはありません。完璧だったとも言いません。

しかし多くの人々が余韻に浸っている今、それを言うのは無粋というものでしょう。

今はまるで海に赤い夕日が沈むのを眺めながら潮風を浴びているような気分です。愛と勇気の真っ赤な帆を掲げた船が視界から消えてゆく、その瞬間を噛みしめこのレビューの終わりとしたいと思います。

一年間、ありがとうございました。

 

最終回のタイトルは?

総評参照のこと。

徳川家康から見たらば「偃武」、主人公から見たらば「真田」、あるいは「旅路」。


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著:武者震之助
絵:霜月けい

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