織田信長には、まるで戦国時代の神様が味方したかのような強運がついている――。
あるいは運が味方したから後世に名を成したのか。
実力があったから運を引き込んだのか。
今川義元を桶狭間の戦いで討ち取り、浅井長政と朝倉義景に挟撃されながらも窮地から脱出(金ヶ崎の退き口)。
さらにその後も、三好三人衆や本願寺、浅井朝倉に信長包囲網を敷かれて絶体絶命になっても和睦策が受け入れられたりした。しかし……。
その命運もいよいよ付きようとしていた。
小手先、口先の策は一切通じない相手――甲斐の虎、武田信玄の進軍である。
長年にわたり越後の上杉と覇権を争ってきた戦国最強の大名は、織田家の盟友・徳川家へ兵を進めようと軍扇を振るい始めたのであった。
西上作戦
◆戦国最強とも称される武田軍団。トップはもちろん信玄ですが、その中心となって軍を動かしたとされるのが山県昌景、内藤昌秀、春日虎綱、そして馬場信房の四天王です。
中でも馬場信房さんは「無傷の男」として知られておりました。本多忠勝のように【無双】と称される武術や膂力などを聞くわけではないので、用兵術などに優れていたのでしょう。
一言坂の戦い
◆武田軍が軍団を分け、三河に侵攻してきたときに遭遇してしまったのが本多忠勝などを筆頭とした徳川軍。
案の定、ボコボコにやられてしまうこの戦いは【一言坂の戦い】と言われてますが、このとき、シンガリを買って出て、鬼神のごとく働いたのが本多忠勝さんです。
2人の無傷対決は、やっぱり忠勝さんに軍配が上がりそう。ただし、合戦全体を勝利に導く腕として考えると、馬場さんの方が上手なのでしょうが……。
本多忠勝5つの最強武将エピソード!家康を天下人にした生涯63年とは
続きを見る
三方原の戦い
◆三方ヶ原の戦いでボコボコにやられ、ウ◯コを漏らしながら命辛々浜松城まで生還したとされる徳川家康。浜松城の門を開き、帰還兵を待っておりました。
一方の武田軍は、これに何か策があるとしてこれをスルーして、次の目的地を目指しておりました。
目的地とは織田信長でしょう。
後に家康が天下人になったことから今現在もこの戦いは大いに注目されますが……。
家康はなぜ信玄に戦いを挑んだ? 三方ヶ原の戦い 謎多き戦場を歩く
続きを見る
信玄の死
◆信玄の死として有力なのが病死。結核を患っていたというシーンは各小説、映像コンテンツでも定番の見せ方ですが、一方で笛の音に心を奪われていたところ射殺された――なんてファンタスティックな説もあります。
ならば今川氏真の呪いが通じた――なんて考えも、まぁ漫画だからアリということで(雪斎さんとは太原雪斎のことですね)。
あわせて読みたい
書籍版『戦国ブギウギ』です!