非常に微妙なバランスで保たれていた関東甲信越の戦国大名は【桶狭間の戦い】を機に突如として力関係は大きく崩れ、今川が勢力争いから脱落していきました。
武田信玄に攻め込まれ、駿河から追い出された今川氏真は北条氏康を頼り、その氏康は武田との合戦に突入。
しかし、その争いも、ほどなく終わりを迎えるのでした。
獅子の最期
◆武田信玄や上杉謙信と真っ向からぶつかりあった【相模の獅子】こと北条氏康が元亀二年(1571年)に死亡し、跡を継いだのが北条氏政でした。
後に小田原評定として「ダメ息子」のレッテルを貼られますが、それはあくまで小田原征伐で秀吉に滅ぼされたゆえの結果論。上杉、武田、徳川らとやりあいながら北条氏の所領を拡大させる実力者です。
義兄弟である今川氏真を追放したのも、国益と父の遺言を勘案した冷静な判断を持っていたからでしょう。
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逃げ足
◆武田信玄の侵攻によって駿河から追い出された今川氏真ですが、わずかながら同国内に支持勢力が残っていたとされます。
が、北条氏康の死を機に、駿河への帰国は雲散霧消。徳川家康を頼ることになり、結果、1615年まで長生きするのですから歴史とは不可解なものですね。
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摩阿姫
◆この「摩阿姫」誕生の後、前田利家のもとに生まれた『豪姫』は、豊臣家との結び付きを強めるため、秀吉のもとへ養女に出されます。
そして、この豪姫こそが宇喜多秀家の嫁となり、関ヶ原の戦いで夫が負けると前田家に戻されながら、生涯、秀家のいる八丈島へ仕送りを続けたというのです。
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軍配継承者
◆蜂須賀小六と言えば、山賊出身の猪系武将。竹中半兵衛さんの持つ軍配の継承者に相応しいとは思えないですが、それはあくまでイメージ。
実際は、秀吉のもとで毛利家との国境決めなど、アタマの使う重要な仕事を任されていたりしました。その隣には黒田官兵衛さんもおりましたが、いずれにせよギャップが魅力な武将の一人ではないでしょうか。
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著者:アニィたかはし
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