まんが戦国ブギウギ

まんが戦国ブギウギ23話 ビビリ義景は秒で撤退!追撃に遅れた織田家臣たち

畿内の三好三人衆。大坂の石山本願寺。近江の浅井。越前の朝倉。

そして甲斐の虎こと武田信玄――と、全方位から包囲網を敷かれ、絶体絶命に陥っていた織田信長は、しかし土壇場で「信玄の死」という悪運に恵まれ、ついに窮地から脱した。

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最大の憂いが消えれば、後は攻めるのみ。

そこで振り上げた拳をおろすことのできない者もいた。足利義昭である。

 

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槇島城の戦い

◆15代将軍・足利義昭は、この【槇島城の戦い】に敗れて京都を終われ、室町幕府は終焉を迎えます。元亀4年(1573年)のことです。義昭はその後も政権奪還を諦めきれず、流浪の末に毛利家の世話になりました。
なんだか情けないばかりの義昭さんに見えますが、実際は割と頑張っていたという見方もあります。

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なお、執事・真木島さんは、その後、豊臣家に加護され、大坂の陣まで秀頼に付き添います。そして、その後も生き延びた。お見事!

 


義景出陣

◆信長と徹底的にやり合う気なら、なぜ、かつて完全包囲したときに和睦策などを受け入れたのか――。
戦国ファンなら誰もが疑問に思う朝倉義景さんですが、浅井長政の小谷城が攻められたときは、果敢に後詰めへと向かいます。しかし……。

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大嶽砦

◆織田軍に囲まれた小谷城を救出するためやってきた朝倉義景ですが、夜の雨に紛れて信長が奇襲を仕掛け、大嶽砦おおずくとりでを陥落させると、それにビビったのか、なんと越前に帰ってしまいます。
さすがにこれはどうかと……。
実際、このヘタレ対応が祟ったのか。このまま織田軍に攻め込まれ、越前の名門・朝倉家は滅亡となるのでした。

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佐久間信盛

◆援軍にやってきた朝倉軍が、ほとんど戦いもせず越前へ戻るワケがない――誰もがそう思う中、織田信長だけは『(大嶽砦を一気に攻め落とされた)やつはきっと撤退する! すぐに追撃できるよう見張っておけ!』と家臣たちに通告しておりました。

ところが、です。実際に素早く動けたのは信長だけ。後に家臣たちはお叱りを受けます。そこで空気の読めない発言をしたのが、織田家に長く貢献してきた佐久間信盛さんでした。
この一言が致命傷だったかどうか不明です。撤退が上手なことから【退き佐久間】とも称される佐久間信盛は、後に……。

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