当初は孝謙天皇と手を取り権勢を誇っていた藤原仲麻呂。
改名して恵美押勝。
彼はそもそも藤原四兄弟の一人・武智麻呂(南家の始祖)の次男であり、橘諸兄や吉備真備、僧玄昉らとの権力争いに勝利して政権のトップに立った。
叔母である光明皇后の補佐も得て、淳仁天皇を擁立したのが基盤となっていた。
しかし……その前に現れたのが道鏡である。
病気だった孝謙上皇の病を治し、一気に信頼を得た道鏡。つまりは、そのぶん恵美押勝のチカラが削がれるということを意味しており、徐々に、そして確実に彼は追い込まれていく。
起死回生の一手!を打たんとしたとき、現れたのが勇者・坂上苅田麻呂だった(田村麻呂じゃないよ)。
日本史ブギウギ、第22話、スタート!!!
◆それは764年のことでした。
自ら「都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使」となって軍事を担当した恵美押勝さんは、各国の兵を集めて反乱へと突き進もうとします。
もう、嫌な予感しかありません。
◆漏れていた。
恵美押勝の狙いは孝謙上皇に流れておりました。
上皇は淳仁天皇から「中宮院鈴印」を奪取。
負けじと押勝も、息子の藤原訓儒麻呂(くずまろ)を派遣し、これを取り返そうと強硬策にでて、一方の上皇側も坂上苅田麻呂(かりたまろ)に命じてこれを死守させるのであります。
バトル、いよいよ加熱か!
◆父の命で出兵した藤原訓儒麻呂は、駅鈴と内印の確保に成功。
これで押勝有利か!
と思ったところに現れたのが坂上苅田麻呂(かりたまろ)です。
◆坂上氏。実は彼ら「家世々弓馬を事として馳射を善くす」と続日本記に記されているように、代々、武芸に通じた一族でして。
武人として、皆さんが真っ先に思い浮かべるのが坂上田村麻呂でしょうか。そうでしょう。征夷大将軍として、日本史の授業でも有名人です。
実はこの田村麻呂、坂上苅田麻呂の息子なのでありますよ! うわぉ! 歴史は続いてるぅ~!!!
※次週へ続く
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)