世の中は栄枯盛衰――。
誰もがわかっちゃいるけど、しかし、自らのコトとなるとそうそう判断がつかない怖いもの。
藤原広嗣を潰し、恵美押勝を追いやり、吉備真備や道鏡を持ってして確固たる基盤を築いた女帝・孝謙天皇! もとい、孝謙上皇! もとい、重祚して称徳天皇!
日本史でも稀に見る個性豊かな女帝もまた、栄枯盛衰の道へ自ら歩もうとしておりました。
理由はほかならぬ道鏡。
この僧に並々ならぬ扱いをもってした称徳天皇は、今まさに危険な道へと進もうとして……そこへ和気清麻呂が立ちはだかります!
◆孝謙上皇の病気を治し、称徳天皇となった彼女を補佐した道鏡。
その権勢はとどまるところを知らず、ついには「天皇」のポジションを狙うまでになりました。
もちろん血筋なき一介の僧侶が、その座に座ることなど不可能中の不可能。
それを翻すべく、称徳天皇は和気広虫に「宇佐八幡宮の神託」を命じ、道鏡を導こうと考えたのです。
大分県までの道のりは遠く、実際に出向いたのは和気清麻呂でした。
◆宇佐八幡宮で神託に臨んだ和気清麻呂の前に現れたのは、巨大(9mもある)な神様だったと伝わります。
神様は言いました。
「道鏡なんか要らん要らん!さっさと追い出しなはれや~!」
と、和気清麻呂はそのまま伝え、称徳天皇の激しい怒りを買います。
そして付けられた名前が「別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)」という、子供じみた嫌がらせでした。
もちろんそれだけではコト済まず、清麻呂さんは鹿児島へ流罪となってしまいます。
◆称徳天皇や吉備真備との政争に敗れた恵美押勝(藤原仲麻呂)。
もともとは藤原南家出身であり、同一派が没落すると、続いて台東してきたのが式家の藤原百川でした。
すでに何度も掲載しておりますが、あらためて藤原四家をまとめておきますね。
・藤原武智麻呂(藤原南家開祖)←恵美押勝
・藤原房前(藤原北家開祖)←後の藤原道長
・藤原宇合(藤原式家開祖)←藤原百川(同時期に藤原蔵下麻呂&宿奈麻呂)
・藤原麻呂(藤原京家開祖)←マイナー
ここから権勢を振るうのは式家となりますが、上記、北家から後の藤原道長が出ているように、今後も藤原家は色々と栄枯盛衰を迎えるんすね。
いや、もう、しぶといどころの騒ぎじゃござーせん。
◆770年、ついに称徳天皇、崩御――。
後ろ盾のなくなった道鏡はアッサリと没落し、772年に出向先の栃木県で亡くなりました。
このとき即位していたのは光仁天皇。
天智天皇の息子・志貴皇子の子供です。
つまりは天智天皇の孫で、現在まで皇室にその血が続いております。
光仁天皇自身は、歴史の授業でも割と地味ですが、その子供たちには桓武天皇もいて、中々に興味深い存在であります。
※「酒をやめた」というのは称徳天皇に目をつけられぬよう、「権力なんて興味ないよ、お酒が命だよ!」というキャラを演じていたというエピソードから来ております
※次週へ続く
【過去作品はコチラから→日本史ブギウギ】
著者:アニィたかはし
武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)