時代考証の甘さは少しだけあって「僕」という主語が戦国期にふさわしいかどうかは検証が必要かもしれません。
まぁ、これはキャラクター付けですね。
戦国時代の話し方を再現できるのは『タイムスクープハンター』ぐらいでした。
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キリスト教徒同士が殺し合うのか?
少年たちは、刺客に呆然としております。
なぜキリスト教徒同士で殺し合うのか?
そんな衝撃がありますが、むしろこの時代はキリスト教徒同士が最も殺し合った時代なんです。
その犠牲者たるや、おそろしいものがありました。
イエズス会が東を目指した理由だって、お綺麗な理想論だけではなく、プロテスタントに対抗心を燃やしたから。
そういう事情があるのに、理想を説いて東洋人を連れて来たら、そりゃこうなるでしょう。
しかし、この辺のカトリックとプロテスタントの汚い事情をきっちりと描くあたり、本作には真剣味があるのです。
「君を助けたいんだ」
このとき、ジュリアンは倒れてしまいます。
熱病でした。
当時はパンデミック時代の始まりです。
これ以前にも、ペストは存在しましたが、それだけではないのです。
新大陸はじめ、ヨーロッパ以外から持ち込まれた疫病が、世界をあっという間に駆け巡りました。
例えば新大陸由来の梅毒は、日本にも到達し、戦国時代の人物にも襲いかかっています。
そうした病気の伝播の背景にも、航海技術の向上があったのですね。
ジュリアンの疫病は重大な脅威です。
船が港に入ると、荷物や乗客を降ろす前に、医師による検査が行われました。
フィレンツェで船に乗り込んでくる医者は、ゾッとするような恐ろしい格姿をしております。
ジュリアンの顔には赤い発疹が出来ております。
メスキートは、熱病で昨年2千人が犠牲になったと少年たちに告げるのでした。
病室に隔離されるジュリアン。
枕元に、ズラリと並んだのが、このような医者でした。これは怖い!
ジュリアンは怯え、全力で治療を拒みます。
脱がねば診察させない――恐怖のあまりそう抵抗するのです。
それにしても音楽の大友良英さんが、いい味を出しています。
異国情緒のある音楽もこなしており、流石です!
ここで、カルロと呼ばれた医師が同僚に止められながらもマスクを外し、笑顔を見せます、
「君を助けたいんだ」
その笑顔を見て、ジュリアンは倒れます。
馬車での移動中にメスキータは、ジュリアンは助かるまいと告げるのです。ったく、冷たいな、もう。
ヴァリニャーノの言った通りで冷たいと誘導したいわけですが、あなたのほうが冷たいですってば。
ジュリアンは治療を受けます。
西洋医学は発展しているからラッキーだよね?
というと、実はそうでもありません。
かなり長いこと行われていた、むしろ有害な治療法が「瀉血」ですね。
古代ギリシャ以来の伝統的な方法ではあるのですが、血を抜いてしまう「失血」ですから危険でして。
弱っていた病人のトドメを刺してしまうことすら、ままありました。
ジュリアンも瀉血らしき治療を受けます。
瀉血は患者のみならず、医者も危険にさらします。病人の血液から感染する危険性もあるのです。
あのカルロという医師も、治療中にジュリアンの血を浴びてしまいます。命がけの治療です。
「花の都」にはもうひとつの顔がある
こうして三人は、花の都フィレンツェへ。
はぁ〜! 本当に花の都だ〜!
ここもやっぱり、ロケが壮大で美しい。
思わず少年と同じような驚きに包まれてしまいますが、花だけではありません。
肌もあらわな娼婦たちが、誘いの声を掛けてきております。
メスキータは、「ヴァリニャーノが見せるなと言っていた」と面白そうな表情です。
カトリック聖職者にとって女遊びは厳禁だと思いますか?
実はそうでもありません。
ボルジア家出身のアレクサンデル6世は、悪徳淫乱教皇の代表格です。
イタリアという、元々は「小さな国が乱立していた」ところでは、教会に取り入ることも出世の早道です。
本作でも信長が僧侶に対して憤っていたような、聖職者の堕落がそこにはあるのです。
そう考えると、やっぱり東西でも似た構造になるってことなんですよね。
そのころ、ジュリアンを看病していたカルロは病に倒れておりました。
裸体美を讃えよ
馬車を降り立つ三人。
「マギ! マギ! 東方の王子たちよ! 我等に福音を!」
人々は歓声を送ります。
トスカーナ大公が戻るまで、彼らは宮殿に滞在することとなります。
そこにあった絵は、なんとボッティチェッリの『春(プリマヴェーラ)』!
『ヴィーナスの誕生』!
はぁ〜、これが世界を舞台にしたドラマか……しばい呆然とするしかありません。
メスキータは、こんなに裸体を描いた絵画は見られないだろうと言います。
「贅沢と色好み。それがフィレンツェだ」
そう語るのです。
さて、少年たちはどう思うのでしょうか。
画法の違いとはいえ、当時を代表する美女・淀殿でも、日本の肖像画にするとこうなります。
ともかく……ちょっと疑問が湧いてきませんか?
なぜヨーロッパでは、あんなに堂々と女性の裸体を描けたのか?
実はこれもルネサンスによる解禁のためです。
「古代ギリシャ・ローマにあったような、裸体や神々への崇拝を復活させましょう!」という流れの一環なんですね。
これ以前は、肖像画でもおおっぴらに描けないものでして。
ヨーロッパ一の美女ことアリエノール・ダキテーヌだってこの通りです。
これがどんどん写実的になってゆくわけですね。
とはいえ、肖像画でのヌード解禁は別ものです。
あくまで神様ということにしなければ、裸体はおおっぴらに表現できませんでした。
「おっ、ヴィーナスですね。これは素晴らしい、神々しいですねえ!(すごくエロいです……)」
「神々への崇拝を感じさせる。これはよいものですなァ「(うっわー、いやらしいわあ〜!)」
本音と建て前の使い分けですわ。
稀に、モデルが特定できるこうした作品が誕生してしまうと、そりゃもう大騒ぎです。
これは時代がかなりくだってもそうで、19世紀のこの人とか。
「ヴィーナス像ですか……ほほう(モデルバレバレやんけ)」
「これはまた見事なものですねえ(皇帝陛下の妹がこんなにエロいなんて聞いていない)」
ちなみに、この古代ギリシャ・ローマの回顧をはじめ
「気取らずシンプルにいきましょう!」
というのは、エロ讃美の本音隠しとしても機能します。
例えば、マリー・アントワネット。
古代ローマ風といえなくもない、白いシュミーズ風ドレス着用肖像画
『ゴール・ドレスを着たマリー・アントワネット』(エリザベト=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン)
については
「なんだ、このエロ王妃は!」
という中傷の原因となりました。
そんな王妃が処刑されたあとのフランス革命期は、古代ローマ風という名目で、スケスケドレスが大流行します!
薄ピンク色のぽっちりが見えるだの、黒い茂みまでチラつくだの、薄すぎて風邪を引いてしまうだの、フランスに来た外国人男性が興奮しまくるだの、さんざん言われたものでした。
真理との出会いを求め
ジュリアンは、治療にあたっていたカルロが寝込んだ姿を見て、衝撃を受けます。
庭で、自分を命がけで救ったカルロのことを考えるジュリアン。
ドラードに「皆と合流するよう促されて」も、ジュリアンは一人にして欲しいと言うばかりです。
ドラードは彼を残し、立ち去ります。
カルロは、周囲の制止を止めずに救ってくれた。そこには何があったのだろう? そう悩むジュリアンです。
東方の王子ことマギを求めて、宮殿に人が集まり始めます。
そんな中、クローク姿のマルティノはどこかへ出かけてゆきます。
このクローク姿がいいですね。
英語では“cloak and dagger”(クロークと短剣)という言い回しもあります。
要するに『アサシンクリード』装束です。
スパイもの、暗殺者もので典型的な衣装というわけですね。
しかし、目的は?
まさか暗殺ではありませんよね。
マンショとミゲルは、マギとは何か、絵画を見て確認しております。
マンショは、そんなものにされてどうなるのかと戸惑いを見せております。
「ガリレオの家はどこか」と尋ねていたマルティノ。
彼は、ガリレオの家にやって来ておりました。
望遠鏡を覗くガリレオに自己紹介すると、向こうも「日本から来た」という言葉に興味を持ち、振り向きます。
マルティノもなかなか大胆ですが、ガリレオもそのことをさして気にしていないという。
むしろ、遠方から来たこと、マルティノの好奇心に好意を抱いているのでしょう。望遠鏡を覗かせます。
ガリレオは、地動説の説明をマルティノに始めます。
これを理解できるマルティノは、相当賢いというわけです。ガリレオは、おそらくそれを見抜いたのでしょう。
この少年なら、自分の考えを理解してくれるはずだ、そんな思いが伝わって来ます。
マルティノは、ガリレオの監視に気づきます。
彼は淡々と、地動説が異端扱いで迫害されていると語り出します。ダーウィンの進化論も、教会から迫害を受けたんですよね。
というか、これは今なお続く問題でして。
こんな記事があります。
◆アメリカ人の3分の1が未だに進化論に対して否定的(→link)
現在も続く、科学と聖書解釈の対立。
マルティノは、西洋にある真理や学問に心引かれて、教会の力でここまで来たはず。それなのに、その教会が学問を否定しているのです。
ここで悩むのか?
それとも悟るのか?
さあ、どちらでしょう。
イエスは心の中にいる
回復したジュリアンは、マンショとミゲルから歓迎されます。
しかし、ジュリアンは暗い顔。
ドラードは、亡くなった医師のことを二人に告げます。ジュリアンは、仮面を恐れた無知が医師を殺したのだと、涙ながらに語り出すのです。
「イエスは十字架の上にだけいるんじゃない、きみの心の中にいる」
カルロは、恨むこともなくジュリアンにそう告げました。
そこへ、マルティノがガリレオとの面会を報告しながら戻って来ます。
マルティノとしては、ローマに召喚されたからには今しかチャンスがなかったと反論。
そんなマルティノに、ドラードがジュリアンとカルロのことを語るわけですが、マルティノは首を横に振ります。
ジュリアンが悟った神のために、ガリレオは異端審問所に呼ばれていった!
そう憤るのです。
簡単に神なんて信じるなと、詰め寄るマルティノ。
それに対し、カルロは心の声に従っただけだと語るジュリアン。
特別に強いわけでも、勇敢でもない。自分の弱さを知って、それを許さなかっただけ。
神はそんな人間に語りかける――ジュリアンは、カルロの言葉を繰り返します。
ミゲルは、ガリレオなんてどうでもいいと言い放ちます。
しかしマルティノは、納得いっていません。
ジュリアンはその医師のおかげで神を見つけたのであれば、俺はガリレオ先生のおかげで宇宙の真理を見つけた!
「ミゲル、お前の大事なものは何だ? マンショ、お前の大事なものは何だ?」
そう問われ、二人は怪訝な表情を浮かべるばかりです。
枢機卿の策
そのころ、メスキータは枢機卿に呼び止められます。
フランチェスコ1世・デ・メディチの弟です。
メスキータは、このまま東方の少年が法皇と面会すると、ヴァリニャーノがイエズス会を仕切ることになると懸念を示すのです。
大公の息の掛かったヴァリニャーノが出世しては、フェルディナンドと呼ばれる彼にとってはよくないのではないか、とメスキートは告げるのです。
彼はのちの、フェルディナンド1世・デ・メディチです。
このフェルディナンドは、少年を殺せというのかと囁くのでした。
イタリア人というと、明るくて陽気なイメージがあるかもしれませんが、歴史的に見ると陰謀と暗殺が多いと思われている側面もあります。
先ほどあげた「サン・バルテルミの虐殺」の背後にいたカトリーヌ・ド・メディシスは、陰謀に長けたフランス王妃として有名です。
佐藤賢一氏『黒王妃』という小説もそうですね。
彼女はイタリアからグルメをフランスに持ち込んだ部分もありますが、それだけでは語れません。
暗殺に長けていた印象が強いほどで、ハニートラップを仕掛ける美女軍団を抱えていたともされております。
※『王妃マルゴ』でも暗躍しますね
これは単純に、イタリアの国民性とは言えません。
特にイタリアのように、小さな勢力が分裂しておりますとそうなります。
日本の戦国時代も同じことですね。
大規模な戦争をしてあっという間に滅びかねないのであれば、陰謀でどうにかしようというわけです。
かくして、本当に『アサシンクリード』めいた刺客がマンショとミゲルに迫ります!
土地勘のない街で暗殺者に狙われるなんてえらいこっちゃで!
二人は、素早く逃げて刺客から逃れるほかありません。
そのころ、ミゲルは宗教画を前にして考えこんでいました。
マンショとミゲル、そして刺客の追跡場面はもう眼福です。その時代の衣装を着た人の中を、駆け抜けるんですから豪華極まりありません。
二人はなんとか刺客から逃れ、子供たちと遊びます。
子供の遊びは東も西も変わらないと、やっとリラックスする二人でした。
ここで幼い頃の話になり、マンショはミゲルの生い立ちを語ります。
幼い頃に落城を経験し、生き延びたのは自分一人であったのだと。
ミゲルの故郷である千々石も、昔はのんびりとした村でした。それが城が出来て、鉄砲が伝来し、戦乱に巻き込まれていったのです。
うーん、こういう話ってあるようでなかった。
その時代の少年たちにとって、戦国時代になってゆくのは過酷ですよ。そりゃそうだ。そういう大変さをしみじみと感じました。
ミゲルを送り出したのは、兄ではなく母でした。
落城で命も危ういかもしれないから、警戒していたのではないかとミゲルは語るのです。
ミゲルはマンショの母について尋ねます。
落城前に我が子二人を残し、出て行ったのです。我が子二人を置き去りにした母には、どんな事情があったのか。マンショにもそれはわからないのでした。
ジュリアンは、祈りながらカルロのことを思い出しています。
マルティノは、人体解剖図を見つめて嬉しそうに描き写しているのです。
そのころ、マンショとミゲルは娼婦からうっふんセクシー攻撃を受けまして。
マンショは戸惑いますが、ミゲルはわりとノリノリで陥落してしまうのでした。
「行ってこい、ミゲル。好きに生きろ」
そう相手を送り出し、マンショは自分の道を見いだすべく歩いてゆくのでした。
MVP:カルロとガリレオ
出番が多いわけではありませんが、ジュリアンとマルティノに何かを伝えた二人です。
これが運命の出会いってやつか!
そう痺れました。
出会う相手が違っていたら、こういう結果ではなかったはず。
カルロは、ジュリアンの中に理解しあえるものを見いだしたからこそ、仮面を外した。
ガリレオが、突如やって来た東洋人少年を出迎え、地動説を説明したのも、彼なら理解出来ると信じたからでしょう。
総評
やっぱり本作はすごいな!
四人の少年それぞれが、東から西へ向かい、文化の異なる土地で自分とそっくりの人と出会う。
そして、人生の目的を見つける。
その目的があったからこそ、ああいう末路をたどるのだと見えて来ます。
真実はひとつではなく、見いだすものもひとつではない。
見いだす神も、心も、真実も。真っ直ぐに生きることもあるのだと、そう語りかけてきます。
四人のうち二人は、今回、そのカケラを掴みました。
本作はテーマを見せるために、人の悪い所も良い所も、きちんと見せて向き合います。
ジュリアンを置き去りにして出かけるマルティノの行動は、自分勝手で非難されても仕方の無いものであるとは思います。
それでも、それが彼の道を探求するルートなのですから仕方ない。
そういう説得力が随所にあります。
豪華な衣装やロケに目を奪われますが、それだけでないもっと大きな何かが本作にはあるのです。
【MAGI~アマゾンプライムビデオで放映中】
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
【参考】
◆アマゾンプライムビデオ『MAGI』(→amazon)
◆公式サイト(→link)