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秀吉とバテレンたち
その前に、聞きたいことがあると言い出すのです。
もう秀吉がいるだけで怖い!
秀吉は布教の理由を聞きます。
宣教師たちはキリスト教が正しいからと言い出します。
秀吉は神道と仏教はダメなのかと問うわけです。
物質にとらわれすぎている。人間は物資にとらわれず、もっと上位の霊魂を目指さねばならないと語る宣教師たち。
と、これもなかなか偽善的でして。
以前も書きましたが、カトリックの教会や宗教画、聖母子像が美しいのは、その荘厳性で信者獲得を狙う側面もあるのです。
秀吉にはこんなことは通じない。
神道や仏教では、その高い次元にたどり着けないのかと言ってくるわけです。
神道や仏教徒は救われないのか?
ポルトガル人奴隷が捕まえている日本人奴隷はどうなのか?
ハァッ、秀吉には勝てない……!
それは捕らえて売る日本人が悪いと返されても、秀吉はゆるぎません。
航海中、慰み者にしているではないかと言うわけです。
これは二重の意味で嫌味なんですよ。
カトリックは荒淫を戒めています。
それなのに、同じ船の中で、同じ教徒による性的搾取が行われていても見逃すってどうなのよ、日本人にばっかりケチつけるのかよ、というわけでして。
宣教師はもごもごと、止めてはいるけど聞き入れないから、どうしようもないと答えるほかないのです。
自国民に正しい教えを伝えられないくせに、日本の国を変えようとは傲慢だと指摘する秀吉。
ポルトガル人奴隷をすべて買い戻せと言い放つのです。
金は出すと言いつつ命令し、それが出来ぬのであれば布教禁止と言い放つ秀吉。
こんなに怖い秀吉出さないでください……うっわ!
この問答も、信長と弥助と同じで、日本人全体が奴隷に反対という美しいものでもないのです。
倭寇が朝鮮半島から人を拉致すること。
文禄・慶長の役での拉致。
日本国内での人身売買もあったわけです。
秀吉はあくまで奴隷貿易を政治的闘争の道具にしているという、そんな見方もできなくはありません。
こうなったら艦隊を呼べ!
カブラルは、小男のくせにと悔しがるばかり。
理屈で返せなくなったから、容姿で馬鹿にするカブラル師が惨めです。本作の描き方は、カトリックが一番惨めであるような気もします。
ここでカブラルは、歴史の本質に迫る際どいカードを持ち出します。
スペイン艦隊です。
ヴァリニャーノでは手ぬるいとかナントカ言っておりますが、これが一番、当時のカトリックとしては泣き所になるはずです。
ついにここまで来たか!
いくら綺麗事を並べようとも、当時のカトリックが以下の歴史的汚点の背後にいたことは否定できません。
・植民地政策
・奴隷貿易
・侵攻
・人種差別
帝国主義の芽を蒔くために、あるいは蒔いたからこそ、信徒が増える。
そこには、経済活動や欲望という問題もあるのです。
心に入り込むなんて、そんなことを言っている場合じゃない。
南米のように、武力制圧してこそ布教も出来る。あまりに赤裸々かつ、歴史上屈指の悪事がそこにはあるのです。
一応、信者保護とは言い訳しているものの、とんでもない話です!
これで思い出したのが、映画『アポカリプト』の論争です。
アメリカ大陸では、残酷な生贄文化がありました。
アステカ文明の生贄儀式ってマジだったの?『ジョジョの奇妙な冒険』原点を探る
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そんな儀式から、ひたすら逃げる一人の男。
残酷ながらも面白いのですが、論争となるのはラストシーンです。
力走し、逃げ切った男の前に、西洋人を乗せた船が現れます。
これが大問題に。
アメリカ大陸では確かに残酷な儀式がありました。だからといって、こりゃあんまりだと。
「残酷で野蛮な原住民に、文明の光をもたらした西洋人ってすごいね、えらいね!」
という解釈もできなくもありません。
宗教性の強いメル・ギブソン監督であることも、憶測を呼びました。
今時そんな前時代的かつ差別的な場面を入れるって、そりゃないだろう、となったわけです。
そんな批判された思想に斬り込む本作。
センスが実に冴えております!
図に乗るな、東洋人どもが!
メスキータは、法皇に質問したいという四人の少年に怒ります。
跪けばよいだけなのに、質問できるなんて思い上がりだと言い切ります。
やっぱりこのへんも、カトリックへの批判が容赦ありません。
東洋から連れて来た少年なんて、所詮はお飾り。
カトリックはまだまだいけると宣伝するだけのお人形なのだと、メスキータの態度からはっきりとわかります。
人種差別。
カトリックの傲慢さ。
純真さを利用する狡猾さ。
どす黒いところまで、本作は踏み込んで来るのです。
MVP:カブラル&フロイス
四少年は、まだまだ先。
道を見つけたときにとっておくとして。
秀吉を前に顔色まで青ざめるフロイス。
そして、言い返せないなら艦隊で殴ると言い出すカブラル。
本作で一番ゲスである候補に入れてもいいんじゃないかな?
フェリペ2世や秀吉もゲスさをチラチラと見せているとはいえ、彼らには偉大な側面もあります。
しかし、カブラルはゲスさしかないと言いますか。
言い負かせないなら艦隊を派遣しろって、もう最低最悪です!
しかもこのゲスさ、思いつきでも何でもなくて、当時のカトリックが持っていたものを濃縮して目の前にポンと出された、そんなところもあるという。
本当におそろしい作品だなっ!
総評
足止めのローマにて、少年たちの純情さとそれを利用するゲスな本音が露骨になってきて、ゾッとしてしまうほどです。
少年たちが疑問を語り合い、世の中はどうしてこうなるのかと語り合う一方で、秀吉とカブラルたちはバチバチと火花を散らしながら、物騒極まりないことを言い出しております。
ここまでやっていいのか、ここまでするのか!
話を追うごとにゾクゾクして来ますが、今回はカトリックの悪徳にこれでもかとばかりに迫り、本当に驚かされました。
しかも、本作は善悪が分かれていない。
混沌として、混じり合っているのです。
純粋で真っ直ぐな気持ちが、思わぬ着地をするかもしれない。
それが垣間見えてきているのが、ミゲルなのです。
あのミゲルの抱く疑問に、本作のうち最も的確に回答できそうであるのは、秀吉です。
「おぬしの疑問ももっともだ。わしも、日本人奴隷を見逃すバテレンどもが愛を説くとは傲慢だと思っておったのだ」
ミゲルがそう言われたら、どうなると思いますか?
これが俺の欲しかった答えだと、頷かないと言えますか?
本作は、四少年の心の底にある疑問こそが、彼らの運命を導いてゆくと描いていると思うのです。
脚本家は、鎌田敏夫氏です。
彼の作品は全て見たわけでも有りませんが、印象に残ったものがあります。
『戦国自衛隊』です。
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あの映画で印象深かったのは、自衛隊の兵器が戦国武士をなぎ倒すことよりも、戦国武士の精神性が現代人を凌駕するところでした。
荒唐無稽な描写の連続なれど、登場人物の精神性に芯が通っているからこそ、おそろしいほどの説得力があるのです。
あの作品での精神性は、殺意や攻撃へとつながりました。
本作の場合、宗教や欲望への向き合い方となるのでしょう。
歴史的な事実を重ねて描く作品だけではなく、何にでも精神性があると物語を引っ張るタイプのものもあるわけです。
そういう精神面へと引きずり込む磁力が、本作にもあります。
秀吉やフェリペ2世は欲望、少年たちとヴァリニャーノは信念です。
なるほど、鎌田氏ならこうなるし、こうしたいからこそ彼を引っ張ってきたのか。
戦慄しつつ、そう噛みしめております。
文:武者震之助
絵:小久ヒロ
参考】
◆アマゾンプライムビデオ『MAGI』
◆公式サイト